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東海道品川宿(東京都品川区) ②品川寺と品川神社の読みは?

 旧東海道品川宿を散策した。
 京浜急行電鉄「青物横丁駅」近くの品川寺・海雲寺あたりから同電鉄の「北品川駅」まで、2駅分歩いた。実際には、川崎市にある「東海道かわさき宿交流館」、「川崎大師」のほか、「品川区立品川歴史館」、港区立「汐(しお)の公園」、さらに京浜急行電鉄の「北品川駅」から歩いて「天王洲(てんのうず)アイル」も訪れた。

<写真>
①川崎大師(神奈川県川崎市)
 ご本尊が「厄除(やくよけ)弘法大師」なので、川崎「大師」と呼ばれているのだろう。お寺の名称は「平間(へいげん)寺」。
川崎大師2019091601
川崎大師2019091602
川崎大師2019091603
②港区立「汐(しお)の公園」(東京都港区)
 JR東日本品川駅の東海道新幹線改札口(2003年開業)を通り過ぎると、すぐ近くに「汐の公園」がある。この東海道新幹線のホームの真下(地下約40m)に、JR東海「リニア中央新幹線」を建設中。2027年、開業予定。品川駅から時速500㎞で走り、名古屋駅(併設の新駅)まで40分で到着する。
港区立汐の公園2019091605
⇓右下の緑地帯が「汐の公園」
港区立汐の公園2019091606
港区立汐の公園2019091607
③天王洲アイル(東京都品川区)
 「天王洲アイル」は東京都品川区「東品川二丁目」にある再開発区の通称。東京モノレール羽田空港線と東京臨海高速鉄道が乗り入れている。駅名はともに「天王洲アイル駅」。もともと「洲」であった場所を、「島」(アイル)状の埋立地とした。
⇓シーフォートスクエア(2階)
天王洲アイルシーフォートスクエア2019091608
⇓天王洲アイルポートウォーク
天王洲アイルポートウォーク2019091612
⇓Lily cakes(ケーキと焼き菓子の店)
天王洲アイルLily cakes2019091609
天王洲アイルLily cakes2019091610
⇓(手前の店)ブレッドワークス天王洲(レストラン、手作りパンのお店)
 (奥の店)T.Y.HARBOR(レストラン)
天王洲アイルT.Y.HARBOR2019091611
 品川寺は「ほんせん」寺と読むが、品川神社は「しながわ」神社と読む。
 お寺は音読み、神社は訓読みにすることが多い(以下、引用箇所はすべて資料①による)。たとえば、浅草寺「せんそうじ」(注①)、東大寺「とうだいじ」、法隆寺「ほうりゅうじ」など、いずれも「音読み」。もちろん例外もある。清水寺「きよみずでら」、鞍馬寺「くらまでら」、石山寺「いしやまでら」など。

 逆に、神社は「訓読み」が多い。湯島(ゆしま)天満宮(注②)、厳島(いつくしま)神社、熱田(あつた)神宮など。
 例外もある。山梨県笛吹市の浅間神社は「あさま」神社と読むのに、有名な、山梨県富士吉田市の浅間神社は「せんげん」神社と読む(注③)。また、地名の「八幡」は「やはた」または「やわた」と読む(ハ行転呼音)が、神社の名前としての「八幡」は「はちまん」(音読み)と読む(「幡」の本来の読みは「ハン」(漢音)またはと「ホン」(呉音)で、「マン」は慣用音)。たとえば、京都府「八幡」市にある岩清水(いわしみず)「八幡」宮の場合、地名は「やわた」市(訓読み)だが、神社名は「はちまん」宮(音読み)である。「八幡神」を祭神とする神社だが、読みは「やはたのかみ」とも「はちまんしん」とも読む。いずれにしても、「八幡宮」(はちまんぐう)と音読みで読むのは、神仏習合(神仏混淆)の影響によるものであろう。
 なお、神社、神宮、大社などの違いはこちらを参照してほしい。

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東海道品川宿(東京都品川区) ①江戸を出て最初に泊まる宿場は?

 徳川家康は、関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601)の正月、「東海道に宿場を設定して公用の旅行者や物資の輸送の義務を負わせた。それまでも街道には、輸送に従事する馬方(うまかた)や人足(にんそく)がいたが、それを一定の場所に限定して公的な運輸機関とした……」。東海道には53の宿場があったが、「初めから全部が指定されていたのではなく、川崎・戸塚・箱根……などは後年に設けられた」(資料①)。「徳川家康が早々に東海道を整備したのは、京への街道を整備することが幕府の地盤固めに必要だったからだろう。」(「江戸時代以前の東海道について調べてみた」より)

 江戸の日本橋から京都の三条大橋に至るまでに53の宿場があったので、東海道「五十三宿(しゅく)」とか「五十三次(つぎ)」と呼ばれている(注①)。また箱根と新居(あらい、注②)には関所があった。
 「東海道は日本橋から始まるが、多くの旅人にとって実際の出発点は品川であった。このため品川宿は旅客の宿泊地であるというより、江戸の玄関口、送迎者の出入りで繁盛した場所であった。」品川宿を越え、次の川崎宿へ行くためには、六郷川(現在の多摩川)を渡らなければならない。この六郷川には六郷大橋があったが、「元禄元年(1688)夏の大洪水で流失し、以後六郷川は船渡しとなった。」洪水時の「川留」(かわどめ)のため、水が引くまでの間、宿泊するための川崎宿が必要でった。その後「川崎大師の名で知られる平間寺(へいげんじ)への参詣客も増え、(川崎)宿は賑わいを増した。」(資料①)
 「江戸の日本橋から京都の三条大橋までが東海道五十三次の全行程。これを距離にすると約492キロになる。」「だいたい江戸時代の人たちは1日に約10里、40キロ前後を歩いていただろうと推定される。……つまり、成人男子が、普通に東海道を旅すると12泊13日くらいになる」という。「1日に10時間歩くとして、1時間平均4キロ」歩く(注③)。箱根など、山道を歩くこともある。街道にはトイレはあったのか(注④)。旅籠屋(はたごや)では部屋の仕切りは襖(ふすま)がふつう。「そんな道のりを13日間、途中休日を入れず、毎日、とにかく歩きつづける」のは大変であったに違いない(注③)。

<写真>
⇓川崎宿、旧東海道(神奈川県川崎市)
川崎市旧東海道2019090801
⇓川崎宿、東海道かわさき交流館
東海道かわさき宿交流館2019090802
⇓品川宿品川(ほんせん)寺(東京都品川区)
品川宿品川寺2019090803
品川宿品川寺2019090804
⇓品川宿海雲寺千躰荒神堂
品川宿海雲寺2019090805
品川宿海雲寺千躰荒神堂2019090806
⇓品川宿荏原(えばら)神社
品川宿荏原神社2019090807
⇓品川宿品川(しながわ)神社
品川宿品川神社2019090808
品川宿品川神社2019090809
⇓品川宿旧東海道(北品川)
品川宿北品川2019090810
 それでは、江戸日本橋を出発して最初に泊まった宿場はどこか。ふつう品川宿でも川崎宿でもない。それはたいてい保土ケ谷(ほどがや)宿(神奈川県横浜市保土ケ谷区)であった。保土谷ケ宿は江戸からほぼ9里。「やや早いが旅の1日目でもあり、まずは1泊という場所であった。」(資料①)つまり、江戸を出て、横浜市保土ケ谷区にあるJR横須賀線「保土ケ谷駅」あたりまで1日で歩いていたということ。

 東京都の旧東海道を散策するには、どこを歩いたらよいのか。「品川区・大田区にある東海道は、昭和2年(1927)の拡張工事によって第一京浜国道(国道15号)と姿を変えたが、北品川から鈴ヶ森刑場跡まで(注⑤)と、美原通り、六郷神社横にある一部に江戸時代から伝わる旧道として当時の道幅(約6間、約10.8m)のまま面影を残している」という(大田区、品川区発行のパンフレットより)。ただ、散策するとしても、「旧東海道」の面影が残っているのは、「道幅」(幅員)と、沿道に残る寺や神社だけ。旧東海道といえども、現在はそれぞれの人々の生活の場として存在している。
 「東海道かわさき宿交流館」(神奈川県川崎市、2階と3階には展示室がある)と「品川宿交流館」(東京都品川区)で無料の資料(パンフレット)を手に入れ、「旧東海道」の面影を残す位置を確認するとよい。月曜日と祝日は休館。
<注>
①「宿」(しゅく)とは、「宿場」や「宿駅」のこと。漢和辞典を調べてみると、「次」(つぎ)の字には「やど」(宿泊する)の意味もあった。なお、高輪(たかなわ、東京都港区)には「大木戸」(おおきど)があった。これは、江戸の治安維持のために設けられた門。
②新居関所の正式名称は「今切関所」(いまぎれせきしょ)。現在の静岡県湖西市新居町新居にあった。
③「江戸時代に東海道五十三次を旅する平均的な日程は12泊13日だった!」より。この記事は、東海道の旅を楽しむ会(編)『東海道五十三次が超おもしろくなる本』(2009年)に収録されている。
④「江戸時代、街道を行く旅人はトイレをどうしたか?」(ブログ「徒然漫歩計」)を読んで欲しい。
⑤「旧東海道」を拡張整備して「第一京浜」(国道15号)としたが、「旧東海道」は北品川から鈴ヶ森刑場跡あたりまでは、「第一京浜」から少しずれて位置する。これは、商店などが密集し、拡幅するのが難しかったからであろう。いずれにしても、こうして「旧東海道」の「道幅」を今に残している。国道1号は国道15号の「バイパスとして建設された」ため、「第二京浜」と呼ばれているが、「旧東海道」からはかなり離れている。
<資料>
①児玉幸多(こうた)監修『東海道五十三次を歩く1 日本橋~大磯』(歴史街道ガイド)1999年
②東海道の旅を楽しむ会(編)『東海道五十三次が超おもしろくなる本』2009年