日本の人口減少と移民政策

毛受俊浩著『限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択』から引用してみる。他の著書やウェブサイトからの引用がある場合はその都度断っている。
1.日本の人口減少
 米英のメディアは「日本の今後の人口減少について、日本以上に深刻にとらえている」という。たとえばニューヨーク・タイムズの記事(2003年7月23日)は次のようである。「タイトルは『内向き日本、必要な移民政策に抵抗』である。この記事では、……日本の移民の受け入れの議論がどうなるかは、経済大国としてとどまるか、あるいは人口減少とともに没落するかを決定する、と断じている。」

・1920年の日本の総人口は5593万人(1920年<大正9年>第1回国勢調査、注1)
・2015年の日本の総人口は1億2709万人(2015年<平成27年>第20回国勢調査、注1)
・2053年の推定人口は9924万人(注2)。
・2065年の推定人口は8808万人。2053年からわずか12年間でおよそ1200万人も人口が減少する。また、老年人口(65歳以上)の割合を見ると、2015年現在では26.6%で、およそ4人に1人、2065年には38.4%、すなわち3人に1人以上となる(注2)。
(注1)総務省統計局(PDF)
(注2)国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口(PDF)」(2017年)による。推定人口は出生・死亡ともに中位で推定されている。

どうであろうか。人口が減少しても、「没落」(ニューヨーク・タイムズ)しない方策はあるだろうか。人口が急減しても、日本は今までの生活水準を維持できるだろうか。人類が経験したことのない人口減少社会を迎えている。人口は少ないが「豊かな」国はたくさんある。人口がたんに減少するというより、極端に幼年人口(15歳未満)少ないこと、また極端に老年人口(65歳以上)が多すぎることが問題だ。もちろん生産年齢人口(15~64歳)も2015年の7727万人から2065年には4527万人に減少する。また2065年には「日本人の半分は55歳以上になる」(注4)。人口減少を避けることができないのならば、どのような社会を築くのかが問われる。

「労働生産性」などが向上すれば大丈夫だとの考えもある。だが果たしてそうであろうか。日本生産性本部「労働生産性の国際比較」(2016年)によると、「2015年の日本の労働生産性は、74,315ドル(783万円)であった。これは、OECD<経済協力開発機構>加盟35カ国の中でみると22位にあたる……。」1993年に2位であったことを考えると、「日本の労働生産性は……1980年とほぼ同じ水準にあたり、1990年代から続く日米生産性格差の拡大傾向に歯止めが」かかっていない(資料①)。要するに日本の労働生産性は低落傾向にあり、それを向上させるのは至難の業であるということ。そのほか、「高等教育への公的支出」(注5)や「海外留学生比率の国際比較」(注6)などをみても、日本はOECD加盟国の最下位か、きわめて低い数値になっている。日本が労働生産性を大幅に向上させる要因をなかなか見いだせない。
(注4)谷定文「縮む・老いる日本:人口減少社会をどう生きるか
(注5)OECD:加盟国の教育状況の調査結果「図表でみる教育2017年版
(注6)海外留学生比率の国際比較(2014)

<資料>
①日本生産性本部「労働生産性の国際比較」(PDF)2016年
ここでは労働生産性を次のように計測している。
労働生産性=GDP/就業者数
生産年齢人口の急減(1)PDF
生産年齢人口の急減(2)PDF

2.日本の移民政策
日本の移民政策は、小渕恵三内閣時代の『21世紀日本の構想――日本のフロンティアは日本の中にある――自立と協治で築く新世紀――』(2000年)以来、何度か取り上げられてては頓挫してきた。「2008年6月、自民党の外国人材交流議員連盟が、人口減少問題の解決策として……、今後、50年間で1000万人の移民を受け入れること」を提言している(この外国人受け入れ構想も頓挫した)。
「2016年5月14日、自民党の労働力確保に関する特別委員会の報告書「『共生の時代』に向けた外国人労働者受け入れの基本的な考え方」では、「事実上の『移民受け入れにゴーサイン』を出した」という。「おそらく政府としては、外国人の受け入れの布石としての報告書だったと推測される。しかし、2016年に立て続けに起こったヨーロッパでのテロ事件は、そうした布石を一掃してしまった。移民問題は先送りということになったのであろう。」2017年3月28日の報告書「働き方改革実行計画」によると、「……経済・社会基盤の持続的可能性を確保していくため、真に必要な分野に着目しつつ、外国人材受け入れの在り方について、総合的かつ具体的な検討を進める」としている。しかし、わざわざ「移民政策と誤解されないような仕組み」との文言を付している。
 
仮に国立社会保障・人口問題研究所が推定(中位)するように日本の総人口が推移するなら、2015年から2065年の50年間に、日本の総人口は4000万人近く減少し、毎年およそ78万人が減少することになる。本書の第7章「『限界国家』脱出プラン」で、著者は「外国人受け入れが大成功を収め、受け入れ枠を拡大したとしても、たとえば年間100万に近い人口減をそのまま補うような受け入れは不可能だろう。その意味で外国人の受け入れは人口減少の最終的な解決策とはなり得ない」と記している。日本がどのような移住政策や外国人労働者の受け入れをするかを含め、将来の日本社会の「あり方」を早急に議論する必要がある。

<資料>
①毛受俊浩著『限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択』(2017年6月)
筆者の毛受(めんじゅ)氏は、「欧州の移民政策の『四段階』」を次のように説明している。(1)第一段階は「一時的な『ゲストワーカーの受け入れ』」。(2)第二段階は「『同化政策』の時代」。(3)第三段階は「一方的な同化政策の問題の反省に立ち、移民の保持してきた文化や言語などを尊重するというもので『多文化主義』と呼ばれる」。(4)第四段階は次のとおり。「平行社会を生み出した多文化主義の反省によって、ヨーロッパの自治体を中心に近年、急速に活発化しているのが……『インターカルチュラル(異文化間交流)』政策……。欧州評議会の関係者は……これが移民政策の『最終形』ではないかという。」
②谷定文著「縮む・老いる日本:人口減少社会をどう生きるか」(nippon.com)
「考え得る政策を総動員」する必要があり、その政策のいくつかを提示しているが、「どのような社会を築くのか」ということは示されていない。
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外国人技能実習生と「出稼ぎ」留学生

NHK取材班著『外国人労働者をどう受け入れるか』によると、「人手不足を補いながら、『労働者』としての来日を認めない――矛盾だけの実態が放置され、そのことが外国人の『労働者』から多くの権利や機会を奪っている」という。以下、特段断りがなければこの著書から引用。

「外国からの移民を受け入れない立場をとっている日本で、労働力として受け入れている外国人労働者は、大きく二つの類型に分けられる。一つが『留学生』として学びにやって来る外国人の若者たちだ。その多くはコンビニや居酒屋など、サービス業の分野でアルバイトしながら、日本で『働いて』いる。」日本ではもちろん「サービス業で働くことを理由に、……外国人の在留を許可していない」。「就労目的で来日する留学生、いわゆる『出稼ぎ留学生』は増え続け」、外国人の「労働者全体に占める割合は22.1%だ」という(2016年10月末現在)。出井康博著『ルポ ニッポン絶望工場』によると「勉強よりも出稼ぎを目的とするものが多く、……本来受け入れるべき『留学生』は決して増えていない」という。

「もう一つが、日本の技術などを学ぶ目的でやって来る、滞在期間三年(注1)という期限付きの『外国人技能実習生』(以下、『実習生』)……。」「実習生は農業、水産加工業、建設業、製造業などの『日本人がやりたがらない』『きつい・安い』といった肉体的な負担の大きい労働現場で、単純労働力として機能している。その結果、期限付きで働きに来る実習生は、都合のいい『使い捨て労働力』とされるケースが頻発し、シェルターが設置されるほどの事態がひろがっている……。」

「実習制度は途上国への技能の移転という当初の目的からは、遠くかけ離れた利用のされ方となることが多い。低賃金の単純労働力を補うためだ。移民を認めてこなかった日本では、外国人労働者に定住してもらっては、建前上、困ることになる。技能実習制度は、その点も『期限付き』で、都合のいい制度だった。深刻な人手不足を補いたい産業界の要望と、治安維持、入国管理の必要性との間に折り合いをつける形で考え出された、矛盾含みの制度の乱用だ。」「必要な労働力を『労働者』として受け入れず――移民の受け入れも含めた根本を議論しようとせず――『期限付き』の労働者たちを増やし続けた"ゆがみ"が格差社会の底辺で噴出し始めているのではないだろうか。」(注2)

日本で働く外国人は「2016年に初めて100万人を超えた」。移民の受け入れも「裏では着々と準備が進められて」いるという。「人手不足に直面する経済界の声、さらには米国などからの『外圧』に押されてのことである。」(資料②③)「今、日本では、移民というタブーを乗り越え、外国人と共に暮らす社会を実現」するのか、「あるいは縮小社会を選択するのか、そのあたりから議論すべきではないだろうか。」日本はすでに「少子高齢化社会」を迎えている。外国人労働者の問題は、私たちが「どのような未来を選択するのか」という問題でもある。おそらく国民の間でも相当、意見が分かれるであろう。「国論を二分するテーマ」(資料②)である。だから政治家や官僚に任せるのではなく、自分のこととして「外国人労働者や移民の受け入れ」の問題を考える必要がある。

(注1)2017年11月から最長五年に延長された。
(注2)「2012年、日本の技術実習制度が『外国人労働者を適正に処遇していない』として、国連機関や国際労働機関(ILO)などから厳しく非難されている……。」「翌2013年6月、米国国務省人身取引報告書において、『日本政府は技能実習制度における強制労働の存在を正式に認知しておらず、本制度の悪用から実習生を保護するための効果的な管理・措置が不足している』と指摘された。」

<資料>
①NHK取材班著『外国人労働者をどう受け入れるか』(2017年8月)
②出井康博著『ルポ ニッポン絶望工場』(2016年7月)
上記の①②のいずれか1冊を読むとすれば②。②は豊富で綿密な取材にもとづいているだけに、問題点の指摘が鋭い。
以下、②の本から引用しておく。
「日本人の嫌がる仕事を外国人に任せ、便利で快適な生活を維持していくのか。それとも不便さやコストの上昇をがまんしても、日本人だけでやっていくのか。私たちは今、まさにその選択の岐路にいる。」「『実習生』や『留学生』だと称して外国人たちを日本へ誘い込む。そして都合よく利用し、さまざまな手段で食い物にする。そんな事実に気づいたとき、彼らは絶望し、日本への反感を募らせる。……」(具体的な事例は是非この本を読んでもらいたい。)

「私は移民の受け入れをいっさい拒むべきだといっているわけではない。ただし『移民は一日にしてならず』である。今やるべきことは、将来『移民』となる可能性を秘めた外国人労働者、留学生の受け入れ政策について、一から見直すことだ。」「移民の受け入れとは、単に労働者を補充することではない。日本という国を構成するメンバーとして、生まれ育った環境や文化の違う人たちを社会に迎え入れることなのだ。言語の習得、就職、さらには子弟の教育などへの支援を通じ、日本社会に適応してもらえるよう、私たちの努力も求められる。」「今後も、日本で働く外国人は間違いなく増えていく。日本に住み続け、移民となる人も出てくるだろう。彼らにこの国で、いかなる役割分担を求めるのか。どうすれば優秀な外国人を日本に迎え入れられるのか――。長期的な方針と戦略を立てるのは今しかない。」
この本には次のようにも書かれている。
「政治に無関心でいられても、無関係ではいられない。」同様に、「日本に住む外国人に無関心でいられても、無関係ではいられない。それは遠い未来の話ではなく、すでに紛れもない現実となっている」。
③毛受俊浩著『限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択』(2017年6月)
日本の移民政策については、この著書の第6章「迷走する政府の移民政策」を参照のこと。

ヘボンの足跡を訪ねて

1.「ヘボンの足跡を訪ねて」
私は2017年7月、「ヘボンの足跡(そくせき)」をたどるため、川崎市と横浜市を訪れた。 はじめにJR京浜東北線東神奈川駅で下車し、成仏寺(じょうぶつじ)と宗興寺(そうこうじ)へ。成仏寺はヘボン夫妻が日本で最初に住んだ場所。宗興寺は、ヘボンが一時期、施療所を開いた場所。JR東神奈川駅に戻り、JR根岸線関内駅へ。下車すると、横浜指路(しろ)教会へ。この教会は1892年(明治25年)、ヘボンの尽力によって建てられた。関東大震災で倒壊、その後再建。1945年(昭和20年)5月の横浜大空襲で内部を全焼、戦後修復された。ここからみなとみらい線馬車道駅へ歩く。元町・中華街駅で下車し、「横浜居留地39番」へ。1862年、ヘボン夫妻は成仏寺からここに移転。現在は横浜地方合同庁舎前の緑地になっていて、ヘボンの顕彰碑と解説板が建てられている。次に、この顕彰碑から「山手245番」へ。現在この土地は、売却か景観保存かをめぐり問題となっている(注1)。ヘボン夫妻は1882年(明治15年)からここに住んだ。1892年(明治25年)、横浜港を出帆し、翌93年米国へ帰国。なお、この項は明治学院「ヘボンの足跡を訪ねて」(注2)などを参照した。

(注1)「山手町245、日銀社宅の売却問題」。今でも「ヘボン山手家族寮」(日銀の社宅)の建物だけが残されている。
(注2)「ヘボンの足跡を訪ねて

2.伝道師ヘボンの誕生
ヘボンの「生涯」については、次の著書を読んでもらいたい。高谷道男著『ヘボン』(吉川弘文館人物叢書)、望月洋子著『ヘボンの生涯と日本語』(新潮社)。ここでは高谷道男著より、ヘボンによる「東洋伝道」(中国伝道時代を除く)に至る経緯を要約してみる。

ヘボンは1815年3月、米国ペンシルヴァニア州ミルトンに生まれ、少年時代をここで過ごす。家庭は敬虔なカルヴィン主義の信仰を奉じ、祖先のスコットランド長老主義(注3)の伝統はヘボン一家を貫いて流れる精神的遺産であった。ヘボンは幼少の頃から家庭と教会において、キリスト教的訓練をうけている。後年、宣教師となり海外へ赴いた学友がヘボンの少年時代に多く、これらの感化や交友関係がヘボンを外国伝道に導いた。1834年の冬、フィラデルフィアで大学の医学部の講義を聴いて、ペンシルヴァニア州ミルトンの長老教会に加わり、宣教医として外国へ行くという使命感を抱くようになる。1859年4月、ヘボン夫妻は日本へのキリスト教伝道を志し、ニューヨークの港を出帆。同年10月、神奈川(宿場町・港町、現在の川崎市)に着いた。こうして1859年(安政6年)の来日から1892年(明治25年)の帰国まで、ヘボンは幕末・維新という激動の時代を33年間も日本で暮らした。

(注3)長老主義とは「司教を認めず長老が教会を指導するカルヴァン派の考え」。「宗教改革において、カルヴァンは教会組織の上ではカトリック教会の教皇を頂点とした聖職者制度と、ルター派の司教制度を共に認めず、教会員の中から信仰のあつい人物を長老に選んで、牧師を補佐させる長老主義を採用した。」(「世界史の窓~長老主義/長老制度」より。Webサイト)。

ローマ字 ヘボン式と訓令式

私たちは日ごろ、何気なくローマ字を見たり、読んだり、書いたり、パソコンでローマ字入力などをしている。パスポートには自分の名前をローマ字で表記しなければならない。パソコンでは「かな入力」より「ローマ字入力」が多数派。駅名や道路などの標識、クレジットカードの個人名などもローマ字で表記されている。

日本語をローマ字で表記する方式としてよく用いられるのが、ヘボン式と訓令式。パスポートにはふつうヘボン式を用いる。外務省のウェブサイトには次のように書かれている。パスポートの氏名は、「従来よりヘボン式を採用している。……旅券申請において表記の例外を希望する申請者が増えていることから、その氏名での生活実態がある場合には非ヘボン式ローマ字表記であっても、その使用を認めている。」ところが文部科学省は「国語を書き表す場合に用いるローマ字のつづり方」として非ヘボン式(第1表。訓令式と呼ばれている)を用いるように定めている。ただし、「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り、第2表に掲げたつづり方」(ヘボン式と第1表にもれた日本式)も認めている(注1)。この訓令式ローマ字は小学校の「国語」で習う。ところが中学校の「英語」ではヘボン式が日本語表記の基本になっている(注2)。パソコン入力は訓令式でもヘボン式でも打てる(ワープロ式ローマ字)。道路や駅名の標識などはヘボン式の変形で表記されている。このように今日まで統一されたローマ字表記は存在しない。

私たちが日ごろ用いているのは、どちらかと言えばヘボン式。いずれか一方に決める必要はないのかもしれない。あえて言うなら、英語圏の外国人には日本語の音に近い形で表記できるヘボン式、日本語文法の説明には訓令式が役立つかもしれない。これは「ヘボン式が英語の発音からローマ字を創ったのに対し、訓令式はどこまでも日本流にローマ字を五十音にそって作ら」れていることによる(注3)。

<参考>①「ヘボン式を推奨」しているのは「日本語のローマ字表記の推奨形式」(東京大学教養学部英語部会/教養教育開発機構)。②「ヘボン式を用いるべきではない」としているのは「ローマ字あいうえお~ヘボン式」(管理人は Hypnosさんの個人サイト)。
①「日本語のローマ字表記の推奨形式
②「ローマ字あいうえお

(注1)文科省「ローマ字のつづり方
(注2)「英語式ローマ字」(Webサイト)
(注3)高谷道雄『ヘボン』(吉川弘文館)

ヘボン ヘボン式ローマ字

1.ヘボン式ローマ字
「ヘボン式」ローマ字の「ヘボン」とはもちろん人名。「ヘボンの名は正式にはジェームス=カーチス=ヘップバーン James Curtis Hepburnであるが、わが国では、一般にヘボンと呼ばれ、ヘボン自らもその著『和英語林集成』に『平文』と書いている。」(注1)「ヘボンの名は、今日では、ヘボン式ローマ字だけで記憶せられているが、幕末から明治中期にかけて、施療事業・和英辞書の編纂・英学塾の開設・聖書の翻訳・教会の建設・明治学院の創立など、数々の輝かしい功業をたて、近代日本文化に不朽の足跡を残した。」(注1)宣教師(宣教医)ヘボンにとって、無償の医療行為、和英辞書の編纂、聖書の翻訳などはすべて、「東洋伝道」の使命を果たすためであった。日本語の習得、辞書の編纂などには、どうしても日本語のローマ字表記が必要であった。長くなるが、前掲書(注1)から再び引用してみる。「『和英語林集成』編集のおり、外国人に日本語をたやすく発音せしめ、理解せしめたいところからローマ字を採用した。……ヘボンの辞書は維新当時から明治時代にかけて非常によく売れ、……和英・英和辞書としては代表的なものとなった。このヘボンの辞書に書かれていたローマ字が、そのころから時代の脚光を浴びて普及するようになった。それでローマ字をヘボン式ローマ字というようになった。……明治18年に日本人の識者の間で『羅馬(ローマ)字会』ができ、ヘボン式ローマ字を修正して標準式ローマ字を発表し、ヘボン博士もその顧問となり……標準式ローマ字すなわち世にいうヘボン式ローマ字がさらに一般に用いられるようになった。」

2.ヘボン式と訓令式の対立
ところが1885年(明治18年)、カナの「五十音図に規則的に対応した」日本式ローマ字が発表される。「ヘボン式と日本式が対立して混乱していたのでローマ字を統一しようということになり」、1937年(昭和12年)、内閣訓令により「日本式を基礎にヘボン式を多少取り入れた」訓令式ローマ字が定められた。戦後、GHQが町名や都市名の標識を、Chiba Cityなどのようにヘボン式ローマ字と英語で表記するように指令したため、ヘボン式ローマ字が「復権」(注2)。こうしてヘボン式と訓令式の、いずれのローマ字表記を用いるかをめぐってふたたび混乱。1954年(昭和29年)にあらためて文部省訓令により新たな訓令式を公式のローマ字とすることが定められた(注3)。今日まで、日本語のローマ字表記は、ヘボン式と訓令式、およびそれぞれの変種が併存し、統一された表記はない。それどころか、ヘボン式と訓令式のいずれを用いるべきであるかをめぐって、激しい対立が続いてきた。 

(注1)高谷道男『ヘボン』(吉川弘文館人物叢書)
(注2)「GHQによる日本語のローマ字化」(Webサイト)
(注3)「ローマ字あいうえお~訓令式」から要約(Webサイト)

プロフィール

yamashiro94

Author:yamashiro94
東京都内、多摩地方、近県でカメラを持って散策しています。旅行・歴史・地理・文学・音楽などから最近気になったことまで、何でもとりあげています。写真なしの場合もあります。上の写真はマレーシアのクアラルンプール駅。2007年撮影。

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