松山市 松山城 現存12天守

1.松山城
松山市は伊予松山藩15万石の旧城下町。JR予讃線松山駅から東にむかって歩くと、城山公園(堀之内地区西堀端)に着く。この堀之内に愛媛県美術館、松山市民会館、県立図書館、NHK松山放送局があるが、大部分は市民が憩う広場。ここからさらに東へ向かい、愛媛県庁を過ぎると、やがて伊予鉄道(路面電車)大街道駅へ。この駅の周辺にはカフェが多く、ここで一休み。駅から北へしばらく歩くと、松山城ロープウェイ・リフト駅。松山城の天守がある本丸広場へは、このロープウェイかリフトを利用する。歩いて登ることもできる。標高132mの城山(勝山)山頂に天守がある(現存12天守のひとつ)。この天守の最上階からは、松山市内や瀬戸内海が一望できる。なお、道後温泉へ行くには、大街道駅に戻り路面電車を利用する。

2.現存12天守
城はおもに戦いのための防御を目的にした砦だが、天守はその城の建造物のひとつ。城には天守が無いこともある。たとえば江戸城の天守は明暦の大火(明暦3年=1657年)で焼失し、その後再建されなかった。「天守」を「天守閣」と言うこともあるが、「天守」は日本の建築学の学術用語。「天守閣」という言い方は、「幕末以降に使われ始めた俗称」(「日本のお城 基礎知識」より)。江戸時代末期に日本全国の名所を描いた浮世絵「『名所図会』の影響によって庶民の間で『天守閣』という名称が流行し、明治以降に一般化した」という(My知恵袋、asphalt-felt)。「明治以降まで残った天守は全国で19あったが、戦災で6、戦後の火災で1(北海道福山城)が失われ、現存する天守は……12城である」(山川出版社『図説歴史散歩事典』)なお、現存12天守が存在する城は以下の通り(地方別)。
東北地方(1)…弘前城(青森県)★
中部地方(2)…松本城(長野県)●★、犬山城(愛知県)●
近畿地方(3)…丸岡城(福井県)、彦根城(滋賀県)●★、姫路城(兵庫県)●★
中国地方(2)…松江城(島根県)●★、備中松山城(岡山県、別名高梁城たかはしじょう)
四国地方(4)…丸亀城(香川県)、松山城(愛媛県)★、宇和島城(愛媛県)★、高知城(高知県)★
<注記>●印は国宝に、無印は重要文化財にそれぞれ指定されている。★印は私がこれまでに訪れたことのある城。なお、「行ってよかった!日本の城ランキング2016」(トリップアドバイザー)による順位は以下の通り。1位姫路城、2位松本城、3位熊本城、4位犬山城、5位二条城、6位松山城、7位備中松山城(高梁城)、8位松江城、9位彦根城、10位中城城(なかぐすくじょう)跡(沖縄県)。

<参考>
日本のお城 基礎知識
My知恵袋(天守と天守閣って同じ意味…)asphalt-feltさん」

<写真>
本丸広場から見た松山城天守(2017年4月撮影)
松山城天守と本丸広場
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宇和島市 宇和島城 朝日運河

1.宇和島城
宇和島市は、愛媛県の南西部に位置する都市で、宇和島城を中心に発展した旧城下町。市の西に臨む宇和海は典型的なリアス式海岸で、宇和島港は天然の良港。宇和島駅は予讃(よさん)本線の終点。宇和島城は慶長6(1601)年、藤堂高虎(とうどうたかとら)によって創建された。寛文11(1671)年に大修理が完了し、天守が今の姿になった(現存12天守のひとつ)。なお、万延元(1860)年に大修理を行い、昭和37(1962)年に天守の解体修理を終えた。私は昭和54(1979)年にも宇和島市を訪れたことがある。宇和島城はよく覚えていたが、天守の中を見学したのは今回(平成29年=2017年)がはじめて。宇和島藩の7代藩主伊達宗紀(だてむねただ)が築いた池泉(ちせん)回遊式庭園である天赦園(てんしゃえん)や宇和島市立伊達博物館を訪れるのもよい。
2.朝日運河
宇和島市は背後に山が迫り、平地が少ないため、干拓や埋め立てにより市街地を拡大してきた。前回(昭和54年に)訪れたときは港(朝日運河)から比較的近くの宿で泊まったこともあり、当時の港の風景をよく覚えている。ところが、昭和60(1985)年から昭和63(1988)年にかけて、「宇和島港の再開発が行われ、『朝日運河』と呼ばれた細長い船溜まり(ふなだまり)や樺崎(かばさき)沖が埋め立てられた」(愛媛県生涯学習センター)。このため、朝日運河はなくなり、あたりの風景は一変していた。前回は宇和島港から船に乗り、日振島も訪れた。高速艇で1時間、普通船で2時間ほどで行ける。この島は、平安時代の藤原純友(ふじわらのすみとも)の、ゆかりの地として知られている。
<参考>「地図から読み解く地域のすがた⑤」(愛媛県生涯学習センター)
宇和島城下埋立ての記録、宇和島港
<写真上>宇和島城の天守(2017年)
宇和島城2017年
<写真下>宇和島城の本丸から撮った宇和島港と宇和海(1979年)。
宇和海1979年

高松市 屋島

1.屋島とメサ
香川県高松市の北東に位置する「屋島」の名称は、屋根のような形状をした島に由来する。屋島は文字通り島で(現在は川を挟んで陸続き)、テーブル状の火山地形。これを地理用語で「メサ」という。また同県の「飯野山(いいのやま)」(讃岐富士)なども「ビュート」と呼ばれる火山地形。メサもビュートもスペイン語で、ともに火山活動とその後の浸食によってできた地形。これらの典型的な地形は、アメリカ合衆国アリゾナ州のモニュメント・バレーで見られる。テーブル状の地形がメサ、円柱状の地形がビュート。ただ飯盛山(標高約421m)のビュートは円錐形をしている。写真は、高松駅近くの中央埠頭から撮ったもの。テーブル状の火山地形(メサ)をした屋島を確認できる。
<参考>屋島~天然記念物(高松市)、香川県のメサとビュート(ブログ「真っすぐ走ろう!」)
2.屋島と展望台
屋島へはJR高松駅で高徳線に乗り、屋島駅で下車。琴電志度線に乗って行く場合は、琴電屋島駅で下車。いずれの駅でも、屋島山上シャトルバスに乗って屋島山上駅へ行く。平日は1時間に1本、土日は30分に1本運行。山上駅近くには四国八十八箇所霊場第84番札所の屋島寺がある。山上からの展望はとてもよい。山上駅のある南嶺の標高は約292m。「獅子の霊巌」(ししのれいがん)と呼ばれる展望台からは高松市街や瀬戸大橋方面が一望できる。また「談古嶺」(だんこれい)と呼ばれる展望台からは源平合戦の屋島古戦場(屋島の戦い)や小豆島(しょうどしま)方面が見える。
※屋島の戦い…1185年、讃岐屋島での源平合戦。源義経が、屋島に逃れた平氏軍を背後から急襲。平氏はこの敗戦で瀬戸内の制海権を失い、その後壇ノ浦の戦い(山口県下関市)で滅亡した。
<写真>中央埠頭から見た屋島
屋島

自由民権記念館 植木枝盛

1.高知市立自由民権記念館
高知市にある「自由民権記念館」(写真)へ行ったことがある。JR高知駅から、路面電車またはバスで15分くらいのところにある。来館時にもらえるパンフレットには、明治初めの自由民権運動を次のように紹介している。「明治維新によって新しい時代がやってきました。この新しい日本をどういう国にしていくのか。このことを真剣に考え、明治政府の目指す方向とは違う道を構想した人々が、『明治第二ノ改革』すなわち自由民権運動をよびかけ、これに賛同する多くの人々が運動に参加しました。憲法を作り国会を開こう、言論や集会が自由な世の中にしようと彼らは訴え、運動は全国に広がり、日本で最初の国民的な民主主義運動になりました。……」常設展示室では「自由民権運動の歩みを紹介」、映像展示室では「自由民権運動の歴史や人物を紹介する映像資料を上映」している。初めに映像展示室を見てから、常設展示室を見ると自由民権運動をよりよく理解できると思われる。
2.植木枝盛と教科書
常設展示室で、移築された植木枝盛(うえき/えもり)の書斎を見ることができる。説明には「明治14年8月植木枝盛はこの書斎で『東洋大日本国々憲案』(とうよう/だいにほんこく/こっけんあん)を起草しました」とある。『国憲案』ついてはあらかじめ知っていたが、帰京後、植木枝盛について更に調べることにした。中学校の教科書に植木枝盛の記述があるのかは分からない。私が見た中学生向けの、3つの参考書には記載があった。高校の山川出版社の教科書には、植木枝盛の名前が4か所出てくる。『民権自由論』、『天賦人権弁』の書名のほか、次のように紹介されている。「……まず1881(明治14)年に福沢諭吉系の交詢社が『私擬憲法』を発表したのに続いて、民権派でも植木枝盛をはじめ、数多くの案を発表した」「植木枝盛が発表した『東洋大日本国国憲案』は、一院制・連邦制・抵抗権・革命権を定めた急進的なもので、議会の権限はきわめて強いものであった」(山川出版社『詳説日本史改定版』より)植木枝盛が起草した『国憲案』にみられる徹底した人権保障や地方(州)自治などは、今日の日本国憲法の精神に受け継がれていると言える。
3.植木枝盛の生きた時代と私たち
植木枝盛は「開国」(1854年)後の1857(安政4)年、土佐に生まれ、江戸幕府が滅亡したころには10歳になっていた。征韓論、明治六年の政変、民撰議院建白書の提出などを経て自由民権運動が始まると、1879(明治12)年には『民権自由論』を著した。翌年、国会開設の勅諭がくだされると、自由党結成に参加し、憲法草案を起草した。1889(明治22)年に大日本帝国憲法が発布され、翌年には第1回帝国議会が召集された。植木枝盛も帝国議会議員に当選。ところがその2年後、35歳の若さで亡くなった。植木枝盛は、まさに激動の時代を生きた。「明治政府の目指す方向とは違う道を構想した人々」がいたように、健全な民主主義には多様な意見と、それを保証する言論の自由と徹底した議論が不可欠だ。ただそれには、「人民国の事に心を用いざるべからざる事」(『民権自由論』)が大切。国民は、国の政治に常に関心を持っていることが肝要だ。最後に家永三郎編『植木枝盛選集』の解説から引用しておく。この本は1974(昭和49)年発行。「『戦後は終った』と言う声の一方で、新しい『戦前』的状況の散見する危惧すべき現代の状況下で、課題としての『戦後民主主義』の日本における根源に遡及するために、植木枝盛の著作を再検討するのも、一つの有効な方法ではないかと考え、この一冊を編集した次第である」
<参考文献>
家永三郎『植木枝盛選集』(岩波文庫)
米原謙『植木枝盛 民権青年の自我表現』(中公文庫)
高知市立自由民権記念館

プロフィール

yamashiro94

Author:yamashiro94
東京都内、多摩地方、近県でカメラを持って散策しています。旅行・歴史・地理・文学・音楽などから最近気になったことまで、何でもとりあげています。写真なしの場合もあります。上の写真はマレーシアのクアラルンプール駅。2007年撮影。

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