FC2ブログ

沖縄への旅②

②沖縄島~沖縄戦、米軍基地
 2016年4月、羽田空港から直行便で石垣島へ。そして石垣島から沖縄島(那覇市)へ行くのにも飛行機を利用した。1982年についで2度目の沖縄旅行。私は最近、「テーマ」を決めて旅行することにしている。今回は、沖縄の歴史(おもに沖縄戦と戦後沖縄史)と在沖米軍基地がテーマ。あらかじめ多くの本を読み、映像も見てからの旅であった。私は日頃、まず事実を知ることから始めたい、と考えている。沖縄への旅もそうであった。

 沖縄島南部では、旧海軍司令部壕(豊見城市)、ひめゆりの塔(糸満市)、平和祈念公園(糸満市)を訪ね、それぞれの資料館等で沖縄戦を学ぶ(ひめゆりの塔と平和祈念公園は2度目の訪問)。沖縄島中部では3つの米軍基地を訪ねた。嘉数(かかず)高台公園(宜野湾市[ぎのわんし])にある展望台からは、普天間飛行場(米海兵隊基地)がまじかに見える。24機のオスプレイが運用されていた。また「道の駅かでな」(嘉手納町)の展望台からは、広大な嘉手納基地(米空軍基地)を一望できる。多くの軍用機がタッチ・アンド・ゴーの訓練をしていた。最後に辺野古(へのこ)漁港(名護市)の近くからキャンプ・シュワブ(米海兵隊基地)とヘリポート建設予定地(辺野古崎沖合い)を見た(2016年4月の時点ではまだ建設は始まっていなかった)。

 事前に予備知識をもって沖縄の米軍基地へ行ったとはいえ、今回の旅はただ基地を「見てきただけ」であった。しかし、「道の駅かでな」には学習展示室があり、「嘉手納のあゆみ」を詳しく学ぶことができた。このほか、沖縄への旅行客の多くが訪れる、琉球王朝の宮殿である首里城(那覇市)や、沖縄国際海洋博覧会の会場であった国営海洋博公園なども訪れた。なお海洋博の会場は国頭郡本部町(くにがみぐん・もとぶちょう)にあり、1975年に開催された。

<写真>2016年4月撮影
⇓首里城守礼門(那覇市)
沖縄首里城2016060301
⇓首里城正殿
 琉球王朝の宮殿。2019年10月31日に焼失、早期の再建が望まれる
沖縄首里城2016060302
⇓旧海軍司令部壕(豊見城市)
 第二次世界大戦末期に日本海軍の司令部壕が置かれ、激しい戦場となった
沖縄旧海軍司令部壕2016060303
沖縄旧海軍司令部壕2016060304
⇓ひめゆりの塔(糸満市)
 正面に刻銘碑。左側にひめゆり平和祈念資料館がある。「ひめゆり学徒隊は沖縄戦に看護要員として動員された女子学徒隊のひとつ。沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒や教師計240人が負傷兵の治療や遺体埋葬などに当たり、日本軍とともに沖縄本島南部に追い詰められて136人が亡くなった」(コトバンク)。
沖縄ひめゆりの塔2016060305
⇓平和祈念公園(糸満市)、平和の礎(いしじ)
 平和の礎に刻銘された数……沖縄県14万9529人、他県7万7448人、外国1万4589人、合計24万1566人。
沖縄平和記念公園2016060306
⇓平和祈念資料館
沖縄平和記念公園2016060307
⇓宜野湾市 (ぎのわんし) にある嘉数(かかず)高台公園
 この高台は沖縄戦時の激戦地。中央やや左にある展望台から、普天間基地が一望できる。沖縄嘉数高台公園2016060313
⇓普天間基地周辺。海兵隊の基地が民家などに囲まれている様子がよく分かる。写真中央にはオスプレイも見える。
沖縄普天間基地2016060312
⇓「道の駅かでな」(嘉手納町)。ここの屋上(4階)から広大な嘉手納基地が一望できる
沖縄道の駅かでな2016060308
⇓嘉手納基地(米空軍基地)。軍用機がタッチ・アンド・ゴーの訓練をしていた
沖縄嘉手納基地2016060309
⇓キャンプ・シュワブ(米海兵隊基地)、右側の辺野古崎沖合がヘリポート建設予定地
沖縄辺野古2016060310
⇓この柵の向こう側がキャンプ・シュワブ
 写真の左側にヘリポート建設予定地の地図がある
沖縄辺野古2016060311
⇓フォトムービー「沖縄島への旅」(8分52秒)
 今回の旅の目的は、おもに沖縄の歴史(とくに沖縄戦)を学ぶためと、在沖米軍基地をこの目で見るため。旧海軍司令部壕、ひめゆりの塔、平和祈念公園、普天間飛行場、嘉手納基地、ヘリポート建設予定地である辺野古のほか、首里城、海洋博公園、今帰仁城(なきじんじょう)跡などを訪れた。

<資料>
①NHKスペシャル「沖縄戦 全記録」(2015年6月14日、NHK総合で放映)
米軍が撮影した日米の戦闘シーンなど、衝撃的な映像が多くある。単行本やDVDも販売されている。沖縄戦とは、1945(昭和20)年の3月末から6月にかけて、沖縄に上陸した連合国軍(おもに米軍)と日本軍との戦い。
②『沖縄戦 衝撃の記録写真集』1988年6月
③矢部浩治『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』2011年6月
沖縄島にある、すべての米軍基地を詳しく紹介している。写真も多く、歴史的な説明も多い。
④新崎盛暉(あらさき・もりてる)『沖縄現代史』2005年12月
⑤沖縄の歴史に関しては、沖縄の高校で実際に使用されている教科書(副読本)を2冊読んだ。新城俊昭『琉球・沖縄史』2001年、沖縄歴史教育研究会編『琉球・沖縄の歴史と文化』2010年。
※2017年5月の記事を改変して再掲載した。
スポンサーサイト



沖縄への旅①

 東京都ではいまだ10~20人の感染者をだしています。また6月18日までは他県への、不要不急の移動もできません。4月はじめころから「撮影」の自粛を続けていますが、今しばらく続けることにしました。したがって、今回の記事も過去の写真になります。

①八重山列島~波照間島、竹富島、石垣島
 2016年4月、波照間島(はてるまじま)、竹富島、石垣島へと旅をした。西表島(いりおもてじま)へは1982年に訪れている。これらの島に、与那国島・小浜島・黒島などを含めて八重山列島という。あるいは八重山諸島ともいう(注)。

 波照間島は南の「最果ての島」。有人島では日本最南端の島。海岸線長は14.8km、標高は59.5m。この島は、台湾の首都台北より南にあり、北回帰線(北緯23.4度)がすぐ南を通る。波照間郵便局も日本最南端の郵便局。島の主要産業はサトウキビ栽培。旅行者のすべてが「日本最南端の碑」と「ニシ浜」へ行くと思われる(「ニシ」は方言で「北」の意味)。日本最南端の天文台である「星空観測タワー」からは南十字星全体を観測できる(4月から6月まで)。「日本で最も多くの星が見える」ため、満天の星を見る「星空ツアー」が催されている。

 島の中央に集落があり、人口は508人(2016年)。台風の被害を避けるため、家は石垣と防風林で囲まれ、屋根の赤瓦は漆喰で塗られている。夜の静寂は離島ならでは。
 石垣島離島ターミナル発、波照間港着の高速船は、波が高くなるとよく欠航する。このため貨客フェリーをうまく利用することが大切。でないと石垣島へ定められた日に戻れなくなる。

 波照間島の島名の由来は「果てのうるま」だそうだ。「うるま」は「琉球」または「サンゴ礁」の意味。もちろん「波照間」という表記は当て字(Wikipedia)。そういえば、波照間島はサンゴ礁の島。

 サンゴ礁に囲まれた島である竹富島は石垣島から近く、船便も多いので観光客がとても多い。しかし、島民が新しく家を建てるときには「平家の赤煉瓦の家を建てなければならない」などの決まり(竹富島憲章)があり、そのため集落の景観はよく保たれている。美しいコンドイ浜は遠浅の海水浴場で、観光客に人気がある。1982年の2月下旬に、私もこの浜で泳いだことがある。このころは、観光客は今ほど多くなかった。

(注)国土地理院の名称では八重山「列島」。2つ以上の島の「分散の度合い」により、「集団をなすものを諸島、そのうち、塊状をなすものを群島、同様に列状をなすものを列島と呼」ぶ。諸島と群島は「概念としては同じ」だが、「地元で呼ばれている名称が尊重されるため、ときに諸島であったり、群島であったり、統一した呼称として定義するのは困難」だという。(国土地理院「諸島,群島,列島の違いは何ですか」 )

<写真>2016年4月撮影
⇓波照間島(有人島では日本最南端の島)。「日本最南端の碑」
波照間島2016053001
⇓ペムチ浜へ
波照間島2016053002
⇓ニシ浜
波照間島2016053003
⇓竹富島
竹富島2016053004
竹富島2016053005
竹富島2016053006
⇓コンドイ浜
竹富島2016053007
竹富島2016053008
⇓石垣島 川平湾
石垣島2016053009
⇓「川平湾を望むパーキング」より
石垣島川平湾2016053013
⇓石垣島上空。沖縄島(那覇空港)へ
石垣島上空2016053011
⇓フォトムービー「波照間島、竹富島、石垣島」(3分40秒)

<地図>
①琉球列島
琉球列島地図2020053012
②八重山列島
八重山列島2020053013
③波照間島。
⇓有人島では日本最南端の島。海岸線長は14.8km、標高は59.5m。集落は島の中央にあり、人口は508人(2016年)。
波照間島2020053014
※2017年5月の記事を改変して再掲載した。

首里城2014

 2014年4月、沖縄を旅した。2度目であった。この沖縄旅行のおもな目的は、①日本人が住む日本最南端の島、波照間島(はてるまじま)と、②米軍普天間基地の移転先、辺野古(へのこ)を訪れることであった。このころは、米軍普天間基地の辺野古移設計画をめぐり、国と沖縄県の対立が深まっていた時期であった。そして、政府は2018年12月14日、辺野古沿岸部で土砂投入を始め、沖縄県との対立はいっそう深まった。
 私は、沖縄の歴史や在沖米軍基地問題に関する資料を注意深く読んだうえで、2度目の沖縄訪問を果たした。沖縄本島ではレンタカーを借り、米軍基地3か所を巡る。写真はすべて2014年4月に撮影。
 2019年10月31日未明、首里城で火災が発生し、正殿と北殿、南殿が全焼したほか、合わせて9棟の建造物を焼失した。
 
 1945年5月、沖縄戦で首里城を焼失。戦後、県民は首里城の再建を望み続けた。1992年、首里城正殿などが再建され、周辺は首里城公園として整備された。「首里城の再建は、郷土の歴史と沖縄の主体性を取り戻す一大プロジェクト」であった。「本土の側にとっても、いま日本を形づくっている地域が決してひと色ではなく、多様で豊かな要素からできていることを、目に見える形で教えてくれる貴重な宝を失ったことになる」(注)。

<写真>2014年4月撮影
⇓守礼門。「守礼」とは「礼節を守る」の意味
首里城2019110301
⇓瑞泉門。城の正門にあたる歓会門(かんかいもん)など、いくつかの門の写真は省略した
首里城2019110302
⇓奉神門。この奉神門をくぐると正殿などに囲まれた「御庭」(うなー)へ至る
首里城2019110303
⇓正面の建物が正殿
首里城2019110304
⇓正殿内部
首里城2019110305
⇓首里城跡は世界遺産
 2000年、首里城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界遺産に登録された。復元された建物や城壁は世界遺産に含まれない。「グ・スク」(御・城)は本土の城とまったく同義でないが、ふつう「城」と表記される。
首里城2019110306
<フォト・ムービー>2014年作成
①八重山列島~波照間島・竹富島・石垣島(3分40秒)

②沖縄本島~沖縄戦・米軍基地(8分52秒)

続きを読む

八重山列島 沖縄島

1.八重山列島 波照間島 竹富島 石垣島
2016年4月、波照間島、竹富島、石垣島へと旅をした。西表島(いりおもてじま)へは1982年に行ったことがある。これらの島に、与那国島・小浜島・黒島などを含めて八重山列島と言う。八重山諸島とも言う(注)。
 波照間島は、有人島では日本最南端の島で、海岸線長は14.8km、標高は59.5m。この島は、台湾の首都台北より南にあり、北回帰線(北緯23.4度)がすぐ南を通る。波照間郵便局も日本最南端の郵便局。島の主要産業はサトウキビ栽培。旅行者のすべてが「日本最南端の碑」と「ニシ浜」(「ニシ」は方言で「北」の意味)へ行くと思われる。日本最南端の天文台である「星空観測タワー」からは南十字星全体を観測できる(4月から6月まで)。「日本で最も多くの星が見える」ため、満天の星を見る「星空ツアー」が催されている。
 
島の中央に集落があり、人口は508人(2016年)。台風の被害を避けるため、家は石垣と防風林で囲まれ、屋根の赤瓦は漆喰で塗られている。夜の静寂は離島ならでは。石垣島離島ターミナル発、波照間港着の高速船は、波が高くなるとよく欠航する。このため貨客フェリーをうまく利用することが大切。でないと石垣島へ定められた日に戻れなくなる。サンゴ礁に囲まれた島である竹富島は石垣島から近く、船便も多いので観光客がとても多い。しかし、新しく家を建てるときには「平家の赤煉瓦の家を建てなければならない」などの決まり(竹富島憲章)があり、そのため集落の景観はよく保たれている。美しいコンドイ浜は遠浅の海水浴場で、観光客に人気がある。1982年の2月下旬に、私もこの浜で泳いだことがある。

2.沖縄島 沖縄戦 米軍基地
 飛行機で石垣島から沖縄島へ。
 私は最近、「テーマ」を決めて旅行することにしている。今回は、沖縄の歴史(沖縄戦と戦後沖縄史)と在沖縄米軍基地がテーマ。あらかじめ多くの本を読み、映像も見てからの旅であった。私は日頃、まず事実を知ることから始めたい、と考えている。沖縄への旅もそうであった。
 
 沖縄南部では、旧海軍司令部壕(豊見城市)、ひめゆりの塔(糸満市)、平和祈念公園(糸満市)を訪ね、資料館等で沖縄戦を学ぶ。(ひめゆりの塔と平和祈念公園は2度目)沖縄中部では3つの米軍基地を訪ねた。嘉数(かかず)高台公園(宜野湾市ぎのわんし)にある展望台から普天間飛行場(海兵隊基地)がまじかに見える。24機のオスプレイが運用されている。「道の駅かでな」(嘉手納町)の展望台からは、広大な嘉手納基地(空軍基地)を一望できる。多くの軍用機がタッチ・アンド・ゴーの訓練をしていた。辺野古漁港(名護市)の近くからキャンプ・シュワブ(海兵隊基地)とヘリポート建設予定地(辺野古崎沖合い)を見た。事前に予備知識をもって沖縄の米軍基地へ行ったとはいえ、文字通り基地を「見てきただけ」であった。ただ「道の駅かでな」には学習展示室があり、「嘉手納のあゆみ」を詳しく学ぶことができる。このほか、沖縄への旅行客の多くが訪れるであろう、琉球王朝の宮殿である首里城(那覇市)や、沖縄海洋博(沖縄国際海洋博覧会、1975年開催)の会場(国頭郡本部町くにがみぐんもとぶちょう)となった海洋博公園(国営沖縄海洋博覧会記念公園)なども訪れた。

<注>国土地理院の名称では八重山「列島」。「二つ以上の島の分散の度合いにより、集団をなすものを諸島、そのうち、塊状をなすものを群島、同様に列状をなすものを列島と呼んでいます。諸島と群島は別称でありますが、概念としては同じであるといわれ、群島は……地元で呼ばれている名称が尊重されるため、ときに諸島であったり、群島であったり、統一した呼称として定義するのは困難といわれています。」(国土地理院「諸島,群島,列島の違いは何ですか」 )
<資料>NHKスペシャル「沖縄戦 全記録」は2015年6月14日、NHK総合で放送された。単行本やDVDも販売されている。また「沖縄・米軍基地ガイド」としては、矢部浩治『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』(書籍情報社)などがある。
<写真>普天間基地周辺。海兵隊の基地が民家などに取り囲まれている様子がよく分かる。右上にはオスプレイも見える。
普天間基地