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野付半島 北方領土

1.野付半島と砂嘴(さし)
 野付半島は、「全長約26kmの日本最大の砂の半島、砂嘴」(注①)で、「海に突き出た針状」の形をしている。この半島には、「立ち枯れの風景」である「トドワラ」や「ナラワラ」といった景勝地がある。また、平成17年(2005年)にはラムサール条約(水鳥湿地保全条約)の登録湿地となった。
 この半島の中ほどにネイチャーセンターがあり、ここから遊歩道を歩いてトドワラ(海水に浸食され、立ち枯れたトドマツ林の跡)へ行くことができる。私は1973年に、対岸の尾岱沼(おだいとう)から船に乗ってトドワラを訪れたことがある。ネイチャーセンターからさらに車で進むと、野付半島の竜神崎にある野付崎灯台近くへ至る。ここから先へは、車では進めない。

<地図>
①野付半島~Googleマップより
野津半島マップ2018092801

<写真>
①野付崎灯台
野付崎2018092603
②野付半島
⇓野付半島~ネイチャーセンターの掲示写真より
野付崎2018092604
⇓トドワラ~ネイチャーセンターの掲示写真より
野付崎2018092605
⇓国後島~ネイチャーセンター近くから
  国後島はかすかに見えるだけだった。写真では、「かすみ」を補正(除去)して、国後島を見やすくした
野付崎2018092606

③別海北方展望台から
⇓国後島~手前は野付半島、その向こうにかすかに国後島が見える。「かすみ」を補正
野付崎2018092607
⇓野付半島から戻る途中に出会った鹿
野付崎2018092608
<写真>
②北方領土~Googleマップより
野付崎2018092602
2.北方領土問題
 納沙布岬の北方館などで配布されているパンレットから「北方領土問題」を紹介する。
「北方領土は、北海道本島の北東洋上に位置する、歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島及び択捉(えとろふ)島の四島です。/ 北方領土は、日本がロシアより早くその存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航し、生活をし、父祖伝来の地として受け継いできたものです。/ 今から160年以上前の1855年2月7日、日本とロシアは日魯(にちろ)通好条約(注②③)を結び、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認しました。それ以降も北方四島が外国の領土となったことはありません。/ しかし、1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。/ そして、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、当時四島全体に約1万7千人住んでいたすべての日本人を強制退去させました。/ それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる法的根拠のない占拠が続いており、北方領土問題が存在するため、日露間では、いまだ平和条約が締結されていません。」(北方領土問題対策協会のパンフレット「北方領土 声届け 開けよう扉 四島(しま)返還」より。「/」は改行を示す)

 『われらの北方領土』(2017年版、外務省)には、「政府がロシアとの交渉を強力に推進するためには、国民の一人一人の理解と協力が不可欠です」と、記されている。日本は、日魯通好条約(1855年)などにもとづき、旧ソ連、そして現在のロシアに北方領土返還を求めてきた。詳しくはこの資料(注④)などを読んでもらいたいが、一度戦争で失った領土を取り戻すのはいかに困難なことであるか、思い知らされる。もちろん、他国の領土を植民地化するなども、許されるはずがない。

 2018年9月12日、ロシアのプーチン大統領は年内に「無条件」で「平和条約」を締結することを提案した。日本とソ連は、1956年の「共同宣言」で国交を回復したが、この宣言では「平和条約」の締結後に歯舞群島と色丹島を引き渡すと明記している(注⑤)。四島ではないことも問題だが、プーチン大統領の提案は、領土問題の実質的な棚上げになりかねない。しかし、ロシア側の真意を探ることも必要だろう。
 ロシアは、極東での、産業やインフラの整備を進めたいという思惑がある。その極東での開発には巨額の資金が必要だ。事実、ロシアは「日本の出方次第では、第三国の企業を誘致し、開発を加速する可能性も示唆し」ている(注⑥)。日本が望む領土返還と、ロシアが望む極東の巨大開発を、同時に解決できないものだろうか。日本も巨額の財政赤字を抱えている。領土の返還なしに巨額の開発資金を出したり、北方領土の「共同経済活動」だけを行うことは、もちろんできない。いずれにしても、領土問題の解決は容易なことではない。簡単なことではないから、日本がサンフランシスコ平和条約(1951年調印、翌52年発効)でアメリカの占領を解かれてから70年近くになるのに解決できないでいるのだろう。

<注>
①砂嘴(さし)は、沿岸を流れている海流によって運搬された砂礫(されき)が、半島の先端や岬、湾の入口などに堆積し、水面にあらわれた細長い州のこと。鳥の嘴(くちばし)のような形をしていることから砂嘴と呼ばれている。この砂嘴が発達して対岸近くまで至り、入り江や湾などを閉じるように伸びると、「砂州」(さす)と呼ぶ。野付半島の砂嘴は日本最大。(二宮書店「最新地理小辞典」などより)
②日魯(にちろ)通好条約の「魯」を「露」とし、日露通好条約と記すのが一般的だと思われるが、外務省の文書では「魯」を用いている(注③)。もちろん「魯」も「露」もロシアの意味。教科書では「日露和親条約」とするのがふうつ。日米和親条約(1854年)と、大きな違いはない。この日魯通好条約では、択捉島とウルップ島の間を国境とし、樺太(からふと)は国境を分けずに従来通り(両国人雑居の地)と規定した(山川出版社「日本史広辞典」などをもとに記す)。日本がロシアに求めている北方領土とは、この条約で定めた択捉島以南の島をさす。
③日魯通好条約の正式名称は「日本国魯西亜国通好条約」。当時はロシアを魯西亜と記していた。外務省のWebサイト「北方領土」では、日「魯」通好条約、日「露」戦争などと使い分けている。これは、ロシアを最初は「魯西亜」、のちに「露西亜」と記すことになったことによる。(日経電子版「ロシアの漢字略称『魯』が『露』に変わったワケ」より)
④外務省『われらの北方領土』(2017年版)は、「望郷の館」で無料配布されている、120ページに及ぶ資料。下記の総理府のWebサイトも参考になる。
  内閣府「北方領土問題~今~
⑤日本経済新聞、2018年9月13日
⑥朝日新聞、2018年9月14日
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フォトムービー「道東より」

道東のフォト・ムービーです。北海道東部(道東)の自然をフォト・ムービーにしました。おもな撮影地は、能取(のとろ)湖、サロマ湖、天都(てんと)山展望台から見た知床連山、濤沸(とうふつ)湖、釧路湿原~細岡展望台、温根内、釧路市内の海霧などです。BGMは、フリーの音楽素材Music Material「ひだまり」よりダウンロードして利用。もちろん報告済みです。

<写真>
⇓手前から、小清水原生花園、JR原生花園駅、濤沸湖、遠くの藻琴(もこと)山
濤沸湖2018092301
⇓夕闇せまる濤沸湖
濤沸湖2018092302
⇓夕方、濤沸湖の向こうに見える斜里岳
濤沸湖2018092303
<動画>
⇓「道東」のフォト・ムービー。3分24秒
BGMはMusic Material「ひだまり」より

北海道命名150年 (7)納沙布岬 野付半島 根室市街

 根室では2日間滞在。ガイドブックには、根室~標津(しべつ)の案内はまずない。あっても納沙布(のさっぷ)岬ぐらい。しかし、意外と訪れたい場所は多い。納沙布岬は、離島を除けば日本の最東端。岬では、納沙布岬灯台をはじめ、北方館や望郷の家などを訪れ、改めて北方領土問題を考える。北方館などの施設では、「北方領土」に関する資料をいくつか配布している。

 1日目は、じっくり時間をかけて納沙布岬と根室市内を散策する。海霧のため、岬から4km先の貝殻島(歯舞<はぼまい>群島のひとつ)でさえ見えない。1973年にこの岬を訪れたときも見えなかった。根室市の主要産業は漁業・水産加工。おもな水産物は、サケ・マス・サンマ・タラ・カレイ・カニ・ウニのほか、貝類・コンブなど。市内でベトナムからの技能実習生をみかけた。彼らは水産加工工場で働いている。
 翌日は、海霧は発生せず。レンタカーを借り、風蓮(ふうれん)湖や野付半島、標津(しべつ)町を訪れた。レンタカーを借りないかぎり、この方面を訪れるのは難しい。別海北方展望台や、野付半島のネイチャーセンターから、かすかに国後島(くなしりとう)を望むことができた。
 標津町では、「ポー川史跡自然公園」を訪れる。この公園では、「開拓の村と歴史民俗資料館」および「標津湿原」などを見学・散策する。北海道ではどの市町村でも、郷土の歴史などを紹介することに熱心だ。

<写真>
①納沙布岬
⇓納沙布岬灯台
根室2018091801
⇓灯台の右側に本土最東端の民家が見える。家の隣りには、コンブ干し場がある。
根室2018091802
⇓灯台近くから「望郷の岬公園」方面を望む 
根室2018091803
②風蓮湖
⇓(右)道の駅「スワン44ねむろ」、(左)風蓮湖
根室2018091804
③野付半島
⇓野付半島~ネイチャーセンター内の掲示写真より
 この地形は砂嘴(さし)という
根室2018091805
⇓ナラワナ
※「海水に浸食され、風化したミズナラなどの木々が立ち枯れたまま林をつくっている」(根室振興局)。 「立ち枯れ」で有名なトドワラは、野付半島ネイチャーセンター近くにある
根室2018091806
⇓竜神崎近くからナラワナ方面を望む
根室2018091807
④標津(しべつ)湿原
根室2018091809
⑤根室市内
⇓「坂の町」根室。大正町1丁目の交差点より根室漁港方面を見る
根室2018091811
<地図>根室~標津(Googleマップより)
根室~標津マップ

北海道命名150年 (6)釧路湿原

 JR釧網(せんもう)本線浜小清水駅からJR釧路駅へ。釧路市内を散策したのち、バスに乗り、釧路市湿原展望台と温根内(おんねない)ビジターセンター(鶴居村)を訪れる。湿原展望台から遊歩道をしばらく歩くと「サテライト展望台」へ至る。ここは、釧路湿原西側の最高の眺望地。また、ビジターセンターを起点とする恩根内木道は、約1時間で1周できる。「ヨシ・スゲ湿原やミズゴケ湿原、ハンノキ林など様々な表情を持つ湿原をみることができ」る(注①)。

春から夏にかけて、釧路や根室では「海霧」(うみぎり、かいむ)と呼ばれる濃霧がよく発生し、200m先も見えないことがしばしばある(注②、写真③)。この日もそうであった。そこで、根室で2日間を過ごしたあと釧路に戻り、再び釧路湿原(東側)を訪れる。この日は多少水蒸気が残っていたが、晴れていた。JR釧路駅から「ノロッコ号」に乗り、JR釧路湿原駅と塘路(とうろ)駅で下車。JR釧路湿原駅では、細岡展望台を訪れる。この展望台から見た釧路湿原はすばらしい。JR塘路駅では、塘路湖と標茶(しべちゃ)町博物館を訪れる(サルボ展望台やコッタロ湿原はすでに5年前に訪れている)。

<写真>
①釧路湿原~細岡展望台
⇓JR釧路湿原駅
釧路2018091201
⇓細川展望台
釧路2018091202
⇓釧路湿原を流れる釧路川
釧路2018091203
②釧路市湿原展望台
⇓サテライト展望台から見た釧路湿原(この写真のみ2013年撮影)
釧路2018091204
③恩根内ビジターセンター
⇓温根内ビジターセンター。左側を進むと恩根内木道
釧路2018091205
⇓恩根内木道
釧路2018091206
⇓湿原は地表も地下も水で満たされており、湿原内の歩行は不可
釧路2018091207
④釧路市内~海霧
⇓幣舞(ぬさまい)橋付近から釧路川河口方面を見る
釧路2018091210
⇓幣舞橋
釧路2018091211
<注>
①釧路湿原国立公園連絡協議会「恩根内ビジターセンター」より
②「釧路では霧の発生日数が年間平均100日以上」にもなるという(環境省「釧路地方の霧発生の仕組み」)。地元の人たちは、この海霧を「じり」と呼んでいる。海から流れてくる霧のため夏でも気温が上がらず、日照時間も短い。冷涼な気候のため、稲作にも畑作にも適さない。このため、根室から釧路にかけて広がる根釧(こんせん)台地では、大規模な酪農が盛んになった。
 環境省のWebサイトのほか、「日本のロンドンと呼ばれる霧の町『釧路』」(北海道マガジン)にも、「霧が発生する仕組み」などが説明されている。

釧路湿原 塘路湖 旧標茶町郷土館

1.釧路湿原~細岡展望台
 JR釧路湿原駅で降りると、急斜面の木の階段を上り、さらに700mくらい歩くと細岡展望台に至る。この展望台からは「蛇行する釧路川」がすぐ目の前に広がる。湿原の背後には「雄・雌阿寒岳」も遠くに眺めることができる。釧路湿原の展望台のなかでは、ここ細岡展望台が、私の、最もお気に入りの場所だ。展望台近くの細岡ビジターズラウンジで少し休憩をしてから釧路湿原駅に戻る。
 釧路湿原は、1980年に「ラムサール条約」(水鳥湿地保全条約)の登録湿地となり、1987年には日本で28番目の国立公園に指定された。こうして、釧路湿原はかつての「不毛の大地」から「ラムサール湿地」、そして「国立公園」へと「羽ばたいた」(注①)。
 私は1973年と1975年の、いずれも夏、列車とバスでこの釧路湿原を通過し、釧路駅を経由して根室に向かった。「恐ろしい」くらいの自然を残したこの湿原が、いまや大観光地になるとは、夢にも思わなかった。

2.塘路(とうろ)湖と旧標茶(しべちゃ)町郷土館
 塘路湖は、釧路湿原国立公園最大の湖。湖水はアレキナイ川を経て、やがて釧路川本流に注ぐ。湖畔には塘路湖エコミュージアムセンターや標茶町博物館などがある。
 休館中であった標茶町「郷土」館は2018年(平成30年)7月、隣接地に標茶町「博物」館として新たに開館した。旧郷土館の建物は、もともと「明治18年(1885年)設置の旧釧路集治監本館として新築されたが(注②)、昭和44年(1969年)現在地に移転復元したもの」(「森と湖のとうろウォーキングマップ」より)。なお現在、この「集治監」(旧郷土館)の内部は見学できない(注③)。

<写真>
①釧路湿原~細岡展望台
⇓細岡展望台
釧路2018091212
⇓釧路湿原を流れる釧路川
釧路2018091213
②塘路湖
釧路2018091208
③旧標茶町郷土館
⇓この建物は、もともとは明治18年(1885年)設置の釧路集治監本館
釧路2018091209
釧路2018091214
<注>
①釧路市地域史料室編『新版 釧路湿原』2008年
②釧路集治監は、現在の北海道標茶高等学校のあたりに開設された。高校には今も集治監時代の建物(「書庫」)が残されている。現在、この建物は高校の記念館として利用されている。
ブログ函館深信「釧路集治監跡-釧路集治監を訪ねる旅3」に詳しい
旧標茶町郷土館「展示室」
また、旧郷土館館内の様子などは、ブログ「もののふ紀行」にも詳しい。