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東日本大震災からの復興(3)~大槌町・山田町・宮古市

1.大槌町
①大槌町語り部ガイドツアー(岩手県大槌町)
陸前高田市に続いて大槌町でも語り部ガイドツアーに参加した。いずれのツアーも、ひとりでも参加できる(私もひとりで案内してもらった)。大槌町では、自身も被災され、自宅を失ったガイドの方(赤崎幾哉さん)の案内で被災地をめぐった。震災で自宅を失った赤崎さんは、元の土地に自宅を再建したため、2重にローンを背負っておられる。
 「震災によって発生した津波は、そんな町(大槌町)の大半をほぼ壊滅させ、町庁舎にいた町長をはじめ、多くの職員も行方不明となり、行政機能は麻痺。その後の火災によりさらに被害は広がり、数日の間、町は外部から孤立した状態にな」った(NHK東日本大震災アーカイブス 岩手県大槌町)。
②被災した大槌町の庁舎
大槌町旧庁舎
③急坂の上の避難先
江岸寺(こうがんじ)の墓石が並んだ斜面(墓地、下の写真)の上が避難先になっていて、地震発生後、住民が次々と避難してきた。高齢者や足の悪い人たちもこの急な斜面を登らなければならなかった(赤崎幾哉さんの話)。
大槌町急坂の上の避難先
④大槌町城山公園(中央公民館付近)から見た被災地
22mを超える津波が大槌町の中心部を襲った。復興の進捗状況は「50パーセントくらい」という(赤崎幾哉さんの話)。
大槌町城山公園
<地図>大槌町
大槌町地図
2.山田町
①JR陸中山田駅(岩手県山田町)
「JR東日本は2014年3月に宮古-釜石間の鉄道全線を復旧した上で、運行事業を三陸鉄道に、鉄道施設を沿線4市町に無償譲渡し経営移管すると発表した。……JR東日本は2015年3月から復旧工事を実施しており、2018年度には全線復旧する予定」(注1)。
下の写真右上が(再建中の)陸中山田駅。新陸中山田駅の(写真)左側で地盤を盛土する工事が行われている。新駅は「旧駅から数百メートルほど移動」し、山田線(宮古~釜石間)は「三陸鉄道の路線として復旧すること」になった(注2)。新駅周辺は、「中心市街地」として、「商店、飲食店やサービス施設、宿泊施設など様々な施設を誘導し、賑わいのある空間づくりを目指」している(注3)。
JR山田駅
②陸中山田駅近くから見た防潮堤
 防潮堤の向こうにある海(山田湾)はまったく見えない。
山田駅付近防潮堤
<地図>陸中山田駅(山田町)
山田町地図
<注>
①鉄道チャンネルニュース「JR東日本 山田線宮古-釜石間復旧工事の進捗を発表
②ABABA’sノート「山田線の復旧工事進む
③山田町「まちなか再生計画
<参考>
JR陸中山田駅被災の様子①
JR陸中山田駅被災の様子②

3.宮古市
①閉伊川(へいがわ)水門(岩手県宮古市宮古港)
「閉伊川河口部に、海岸沿いに整備される防潮堤と一体となって津波から市街地を守る防潮水門の建設が進められてい」る(閉伊川災害復旧水門工事)。
宮古市閉伊川水門1
宮古市閉伊川水門2
<地図>宮古市閉伊川
宮古市地図
<参考>
閉伊川河川災害復旧
<地図>
岩手県 宮古市・山田町・大槌町
岩手県三陸海岸北部地図
②東日本大震災からの復興~最後に
最後に塩崎賢明著『復興〈災害〉―阪神・淡路大震災と東日本大震災 』(2014年)から、とびとびではあるが引用しておくことにする。「復興施策の貧困さや誤りは、被災者に新たに悲劇をもたらす……。」著者はこれを「復興『災害』」と呼んでいる。2013年12月に「国土強靭化基本法」が成立した。この「国土強靭化の主眼は東日本大震災や今後の大規模災害の被害に対する国民のおそれを最大限に利用して、その防止を旗印にあらゆる分野でハード整備の事業を展開しようというところにある。今後10年間で200兆円といった大規模な公共事業を推進しようとするものである。……これから先、毎年20兆円もの公共事業を続けていくだけの財政力が果たしてあるのか、大いに疑問である。」阪神・淡路大震災ばかりでなく、東日本大震災でも「震災復興のための予算が復興以外の事業に流用されて」いる。「東日本大震災の復興を確実にするためにも、またこの国の運営を確かなものにするためにも、政治・行財政への国民の監視・関与を強めなくてはならない。」
日本経済新聞によると、国債などの「『国の借金』の残高が、2013年6月末時点で1000兆円を突破」し、「国民1人あたり約792万円の借金を抱えていることになる」という(2013年8月10日)。国債の発行は税金の「先取り」である。今後発行される国債を無視しても、「これから」国民は1000兆円を超える借金を税金などで「返済」しなくてはならない。4人家族なら、およそ3200万円にもなる。なぜこのような事態に立ち至ったのか。このことを究明することなしに、景気対策や国土強靭化と称して国債を発行し続けてはいけない(じっさい「公共事業」はこれまで、政権の「維持」をはかる手段でもあった。景気対策と称して優先度の低い公共事業が行われていないだろうか)。本当に必要なところに、かつ無駄なく税金が使われているのか、私たちは常に監視し続けなければならない。そうしなければ、私たちの後の世代に膨大な借金を背負わすことになることを知っておくべきだ。

東日本大震災からの復興で感じたこと……。「人の生活」の回復よりも、「インフラ整備」が優先されていないか、を問う旅であった。
<参考>
yokoblueplanetさんのブログから「東北地方太平洋沖地震/津波」をリンクさせていただいた。震災5ヶ月後、7ヶ月後の状況を知ることができる。
東北地方太平洋沖地震/津波 5ヶ月後の報告
東北地方太平洋沖地震/津波 7ヶ月後の報告
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東日本大震災からの復興(2)~南三陸町と陸前高田市

1.陸前高田市
①陸前高田復興まちづくり情報館
下の写真の建物は「陸前高田復興まちづくり情報館」で、「東日本大震災により甚大な被害を受けた陸前高田市における復興事業やその進捗状況などをご紹介するために設置」された(Webサイトより)。建物の背後の、「オカモトセルフ」(被災前はガソリンスタンド)と書かれている看板には「津波水位15.1M」と書かれている。旧「道の駅高田松原タピック45」の駐車場より撮影。
復興まちづくり情報館
②下宿定住促進住宅(震災遺構)
津波は下宿定住促進住宅(市営住宅)の「4階を完全に水没させ、最上階(5階)の床上に達し」た。この市営住宅は海に近い国道45号沿いに位置していたが、住民は全員助かった。海がすぐ近くであったからこそ住民に危機感があり、迅速に避難したことがさいわいした(陸前高田観光ガイドの新沼岳志さんの話)。避難の仕方によっては、「助かる命がもっとあった」ことが悔やまれる。
震災遺構 陸前高田市
③下和野(しもわの)団地(災害公営住宅)
下和野災害公営住宅
④災害公営住宅(復興住宅)から見た陸前高田市街
復興住宅(上の写真)からみた広田湾と津波被害を受けた市街。6年以上もたったこんにちでも、巨大な防潮堤の建設や土地のかさ上げ工事などが行われている。まだまだ復興途上であることが分かる(2017年9月29日撮影)。
陸前高田市 市街1
陸前高田市 市街2
<航空写真>陸前高田市(岩手県)Googleより
地図 陸前高田市
<参考>
陸前高田観光ガイド部会
<Webサイトの映像・写真>
『閲覧注意』東日本大震災のすべて『画像100枚・動画』
東北地方太平洋沖地震/写真で見る被災地/陸前高田市

2.南三陸さんさん商店街(宮城県南三陸町)
「『サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南三陸の商店街にしたい』というコンセプトのもと、2012年2月25日に仮設商店街としてオープンした”さんさん商店街”ですが、震災より5年が経過し、このほど2017年3月3日(サンサン)に本設オープンいたしました。かつての町の中心地に震災後8.3mほどかさ上げされた高台の造成地、国道45号線と国道398号線が交差する志津川地区に本設としてオープン。南三陸杉を使用した平屋6棟に、飲食8軒、生活関連7軒、鮮魚店5軒、菓子3軒、理美容2軒、葬祭関連1軒、コンビニ1軒、産直施設1軒、計28店舗で構成されています。」(南三陸さんさん商店街Webサイトより)
南三陸さんさん商店街
<地図>南三陸町(宮城県)
地図 南三陸町

東日本大震災からの復興(1)~東松島市と石巻市

1.震災復興伝承館(宮城県東松島市)
①被災直後のJR仙石線野蒜(のびる)駅
下の写真は東日本大震災の津波で被災した旧野蒜駅(震災復興伝承館のパネルより)。駅のプラットホームは震災遺構として保存され、駅の一部は「東松島市震災復興伝承館」としてリニューアルオープンした。
東松島市震災復興伝承館
②現在(2017年9月)の旧野蒜駅
駅の後背地にはまだ数件の民家が残る。さまざまな事情で「自宅」に残った被災住民は、じゅうぶんな支援を受けられない(注)。旧野蒜駅周辺は「震災復興メモリアルパーク」の予定地で、写真のプラットフォームを含む。現在、その工事がするめられている。(注)場所は異なるが、岡田広行著『被災弱者』(2015年)に詳しい。
旧野蒜駅
③新野蒜駅 駅前団地
野蒜駅は海抜22mの高台に移設され、すぐ駅前に、山林を切り開いて造成した住宅地(野蒜ケ丘団地=集団移転団地)が広がる。高台にあるため、車がなくては生活は成り立たない。
野蒜が丘団地
<地図>JR新旧野蒜駅(宮城県東松島市)
地図東松島市

2.日和山(ひよりやま)公園から見た旧北上川河口
日和山(宮城県石巻市)は旧北上川河口の近くに位置する丘陵地で、石巻市内を一望できる。下の写真は日和大橋方面を写した写真。写真右下に、被災する前の河口付近を写した写真が見える。ここ(日和山公園)に来ていた数人の市民が河口付近を見て被害の大きさを確認していた。
日和山公園
<地図>日和山公園 旧北上川河口(宮城県石巻市)
地図石巻市

<参考>
旧北上川河口域の津波被害状況
写真で見る被災地 宮城県石巻市

東日本大震災からの復興

2017年3月11日、東日本大震災からすでに6年を迎えた。私はこの年の9月下旬から8日間、車で宮城県東松島市から岩手県宮古市の三陸海岸を北上して震災からの復興状況を「見てきた」。さらに本やTV番組、ネットなどで事前に下調べをしていた。だが、これだけでは十分ではない。このため復興状況の進展に多くの言及をすることは避けたい。しかし、「災害列島」に住む私たちには「明日は我が身」である。私が住む東京でも、関東大震災(1923年)クラス(M7.9)の地震が起こりえるし、多摩地方には立川断層もあると言われている。他人ごとではなく、自分のこととしてこの大震災のことを考えたい。

 復興状況を知るうえで最も役に立った本は、岡田広行著『被災弱者』であった。この本は、震災から4年近くたった時点で書かれているが(出版は2015年12月)、今でも復興の状況は変わらない。一言でいえば「被災は今も続いている」ということだろうか。「東日本大震災からの復旧復興に用意された予算は『集中復興期間』とされた2011年度からの5年間に26.3兆円に達している。これだけの予算がありながら、被災者の多くが復興を実感することができ」ていない。政府の復興事業は、防潮堤の建設や住民の高台移転などの土木事業に(必要な施策だとしても)「片寄りすぎ」ていないだろうか。高すぎる防潮堤は「海が見えず、危険が増す」(大津波に気がつかない)ということはないだろうか(朝日新聞2017年9月12日)。また「防潮堤があると生活が成り立たない」ということはないだろうか(同上)。高台移転のための工事には多くの時間を要する。このため被災「住民の多くが戻ってこない」。「25兆円に達する復興予算に占める支援金の支出額の割合は、わずか1%強にすぎない……。」「もう一度事業や予算、計画を洗い直し、被災者が最も必要とするところへ資金や人材をふりむけるべきである。」(前掲書)

 「市町村は被災者と直接向き合う立場にある。」(前掲書)被災住民の多様な要望に向き合うにはあまりにも「マンパワーが不足」している。この本に詳述されているように、各地のボランティアが果たした役割はあまりにも大きい。未来の大災害に備えて、私たちは東日本大震災復興からの教訓に多くを学ぶべきである。復興にあたって多くの人が「被災者に寄り添う」ことが大切だと指摘している。だが果たしてその通りになっているだろうか。「ハード面を焦って整備するのではなく、住民が安心して暮らしを続けていけること。それこそ真の復興だ」と思われる(朝日新聞2017年10月20日)。

<参考~著書>
①岡田広行著『被災弱者』2015年
②木下繁喜著『東日本大震災 被災と復興と 岩手県気仙沼地域からの報告』2015年
  この本も読んでおきたい。「被災した人たちの生活再建こそが、震災復興では最優先されるべきです。人々の生活再建なくして、地域の復興はあり得ません。政治や行政の復興の動きをみていると、一番大切な視点が欠けているように見えてならない…… 。」被災住民の「生活再建」から程遠い行政施策が生々しく描かれている。この本には次のようにも書かれている。「ただ、東日本大震災のような大規模災害となると、東北地方沿岸部の中小規模市町村レベルでは対応しきれないのも現実です。……震災地の市町村は……絶対やらなければならないことに特化して対応すべきです。一つは日常の業務です。もう一つが被災者への対応です。……復旧事業は国と都道府県にお願いする。そして復興事業は民間に委ね、市町村は支援する側に回る。震災時にはそうした役割分担をきちんと決め、対応することが大切ではないか……。」被災地ガイド(陸前高田市と大槌町)の方が私に、行政の対応の「まずさ」を何度も指摘していた。大災害にどのように対処するのか、日頃から行政も私たちも考えておきべきだ。「復興計画は平時に作ることが大切」で、「震災が起きてから復興計画や復興事業計画を作っていたのでは、迅速な復興は望めない……」。
③外岡英俊著『複合被災』2014年
④塩崎賢明著『復興〈災害〉――阪神・淡路大震災と東日本大震災 』2014年

<参考~Webサイトより>
写真で見る被災地~東日本大震災

<地図>三陸海岸(宮城県・岩手県)
地図 三陸海岸