神田川

「神田川」と言えば、南こうせつの歌を思い浮かべる。1973年、知人からこの曲を教えてもらい、以来南こうせつの歌をよく聴くようになった。実は神田川がどこをどう流れているのか、最近までまったく知らなかった。その神田川のことを調べてみると驚くことばかり。JR中央線吉祥寺駅の南にある井の頭池(井の頭公園内)が水源であること、御茶ノ水駅から見える外濠が神田川の一部であること、日本橋の下を流れる川(日本橋川)は神田川の分流であること、神田川が今の流路になったのは江戸時代初期にまで遡ること、などなど。飯田橋付近から隅田川(両国橋近く)に合流する辺りまでは人工河川で、江戸時代のはじめに神田山と呼ばれた台地を切り崩して神田台(神田台地)とし、大名や旗本の屋敷をここに作った。この辺りの地名が神田であったことから、神田川と呼ばれるようになった(神田川のもとの名は平川で、かつて飯田橋付近から南流していた自然河川)。江戸時代には玉川上水とならんで、神田川の水は飲料水として利用されていた(神田上水)。その神田川の川沿いを散策してみることにした。都電荒川線の面影橋駅(新宿区)からJR中央線飯田橋駅(千代田区)まで地図を見ながら歩いた。しかし、「神田川」の歌詞にあるような「下宿」は、今ではほとんど存在しない。写真は、桜の花が咲くころ、面影橋から撮ったもの。※この項を作成するにあたって参考にしたサイトは次の通り。「江戸の原型と神田川の流路」、「江戸の街と神田川-流路変遷と江戸の発展」、「江戸の街と神田川-江戸の暮らしと神田上水」。
神田川 面影橋から
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千登世橋 千登勢橋

「千登勢橋」という歌は、「池上線」とならんで、西島三重子(作曲・歌)の、若いころの代表曲(門谷憲二作詞)。「(1番)…電車と車が並んで走る/それを見下ろす橋の上/千登勢橋から落とした/白いハンカチが…(2番)胸の想い言い出せなくて/遠くでカテドラルの鐘…心のすべて燃やした恋を/いつも見ていた橋の名は千登勢橋です…」(歌詞の前から順に)①「電車」とは荒川線を走る都電。②「千登勢橋」は、本当は「千登世橋」が正しい(目白通りと明治通りが交差する場所にある立体交差橋。「世」ではなく「勢」の文字を使用した作詞者の意図は不明)。③カテドラルは「カトリック東京カテドラル関口教会」のこと。千登世橋へは、JR山手線目白駅で下車し、目白通りを東へ歩いて行く。学習院大学を過ぎると、まもなく千登世橋だが、(「電車と車が並んで走る」と歌詞にあるように)明治通りと都電荒川線はその橋の下を通る。ここからさらに目白通りを東へ歩くと、カテドラル関口教会聖マリア大聖堂。上の写真は、千登世橋(階段の左側)。橋の下を通るのは明治通り、上を通るのは目白通り。階段の右側には荒川線の都電が走る(この写真では見えない)。下の写真は、千登世橋(正確には千登世小橋)から撮った、荒川線の都電。遠くに新宿の高層ビルが見える。※千登世橋は1932(昭和7)年に完成。案内板には「この橋は、明治通りと目白通りとの立体交差橋で都内でも土木史的価値の高い橋として『東京の著名橋』に指定された」とある。なお、都電路線は現在、荒川線を除いてすべて廃止されている。
千登世橋
荒川線の都電

上野 無縁坂

JR山手線上野駅の不忍口(しのばずぐち)を出て、上野恩賜公園へ向かう。西郷隆盛の銅像、彰義隊戦死者の墓、清水観音堂、竹の台噴水(大噴水)を順に巡る。途中、右手には上野の森美術館、東京文化会館、国立西洋美術館、国立科学博物館などの文化施設がある。噴水から北へ向かい、東京国立博物館、黒田記念館、さらに寛永寺(根本中堂)へ。黒田記念館では、黒田清輝の代表作である「読書」(1891年)や「湖畔」(1897年)などを鑑賞することができる(期間によって展示絵画は異なる)。大噴水へ戻り、上野東照宮を経て不忍池へ向かう。不忍通りを渡り、さらに西へ向かうと旧岩崎邸(写真左側、石垣とレンガ塀のある邸)。明治中頃に建てられたという西洋木造建築が見ものだ。この旧岩崎邸の北側にある坂道が無縁坂(写真、中央の坂)。「無縁坂」というと、この坂を舞台にした、森鴎外の小説『雁』(がん)を思い出す。この小説を原作とする映画『雁』は1953年制作、豊田四郎監督、高峰秀子ら出演(1966年制作、若尾文子主演の『雁』は見たことがない)。最近、この映画をDVDで再び見ることができた。これを機に小説も読み直し、無縁坂も訪れた。この小説をどう読むのかは人それぞれ。出会いも別れも人それぞれ。ただ映画では、ヒロインお玉(高峰秀子)の「自我の目覚め」をより強く描いている。※無縁坂といえば、さだまさし作詞・作曲の『無縁坂』が有名。私もこの歌により、無縁坂という地名を知った。この坂の名は、坂下にあった無縁寺称迎院(しょうぎょういん)に由来するそうです(大石学『坂の町・江戸東京を歩く』)。
無縁坂

木場 忍ぶ川

「木場」(きば)とは、貯木場(ちょぼくじょう)のこと。陸上貯木場と水中貯木場とがある。「木場」の文字がつく地名は全国各地にあるが、隅田川の河口近くにつくられた「木場」は江戸深川にあった(江戸時代はこのあたりが海岸線)。紀州など地方から大量の丸太がここに運ばれてきた。明治に入り埋め立てが進むと、木場は「内陸」化。昭和44(1969)年、荒川の河口付近に移転してできたのが、現在の新木場(東京都江東区、位置は地図参照)。それまであった木場の貯木場は埋め立てられ、都立木場公園となった(位置は地図参照)。その後、木材の陸送が盛んになったこと、丸太での輸入が減少したこと(製品形態での輸入が増加したこと)などにより、水中貯木場の数が減少した。JR京葉線新木場駅近くの新木場には今も貯木場があるが、ほとんど利用されていない(写真は新木場第二貯木場)。ただ、周辺には現在も材木商や木材加工工場などが多く存在する。ところで「木場」と言えば、私は映画『忍ぶ川』(1972年)を思い出す。原作は三浦哲郎の小説『忍ぶ川』、熊井啓監督、加藤剛、栗原小巻出演。小説の初めに、深川、洲崎、東陽町、木場などの地名がでてくる。映画でも、主人公の「私」の兄が働く「木場」の場面がある。「日付のない便り」というブログには、「…今も、どこかに志乃という女性が懸命に生きている気がするのだが。」と書かれていた(「忍ぶ川 栗原小巻または志乃」)。※志乃は、「忍ぶ川」という料亭で働く娘(栗原小巻)。東京都江東区地図
新木場第二貯木場

池上線

東急池上線は五反田駅と蒲田駅とを結ぶ路線。その「池上線」という名をもつ歌を知ったのは、2008年4月19日付の朝日新聞Be版(土曜日版)。佐藤順英作詞、西島三重子作曲・歌。Be版の記事『うたの旅人』に「駅に残した切ない記憶」と題して、この歌が取り上げられていた。早速YouTubeで検索して聴いてみた(この時初めて聴いた)。記事によると、歌詞に出てくる「終電時刻を確かめて/あなたは私と駅を出た」という駅は、池上線の池上駅であった。また、この歌詞は、学生時代の作詞家の、実際の体験をもとにしてつくられたという。この歌にまつわる話はたくさんブログに書かれているが、とくに「エムズの片割れ」に詳しい。そこで、東急池上線を散策してみた。洗足池駅では洗足池を一周、池上駅では池上本門寺(日蓮宗の大本山)へ足を延ばした。もちろん、「角のフルーツショップだけが/灯りともす夜更けに/商店街を通り抜け/踏切り渡ったときだわね…」の歌詞に出てくる商店街と踏切にも行ってみた…。写真には、手前から池上本門寺の総門、(順に上に)仁王門と大堂の屋根が写っている。写真には写っていないが、大堂の東西に鐘楼と五重塔、さらに大堂の奥に本堂や多宝塔などがある。
池上本門寺

プロフィール

yamashiro94

Author:yamashiro94
東京都内、多摩地方、近県でカメラを持って散策しています。旅行・歴史・地理・文学・音楽などから最近気になったことまで、何でもとりあげています。写真なしの場合もあります。上の写真はマレーシアのクアラルンプール駅。2007年撮影。

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