冬の公園(3) 水元公園

東京都立水元(みずもと)公園は、「東京都の東部、葛飾区に位置し、埼玉県(三郷市)に接している都内最大の水郷公園……。園内は、豊かな森林の趣と貴重な水生植物を擁する水郷風景を楽しめる。高さ20mにも達する200本のポプラ並木<1.2㎞に及ぶ並木道>や生きている化石として知られるメタセコイヤが約1,800本、都立公園で最大の森を形成」している。(おでかけガイド「水元公園」より)昭和40年(1965年)に開園。昭和43年(1968年)、「明治百年記念事業の一環として明治百年記念公園の指定を受け」た。
この地域の水路は「もともとは古利根川の河川敷」。江戸時代、小合(こあい)村が古利根川の河川敷を「江戸幕府の許可を得て埋め立てて耕作地とし」た。堰止めされた河川は「水を蓄えて」用水池とした(灌漑用水を調整する遊水池)。この用水池を当地では小合溜(こあいだまり、こあいだめ)とか、小合溜井(こあいためい)と呼んでいる。(Wikipedia「水元公園」より)
水元公園の総面積はおよそ86.2ha(東京都立川市にある国営昭和記念公園は同148.7ha)。JR常磐線または東京メトロ千代田線「金町」駅から京成バスに乗車。「水元公園」バス停で下車し、徒歩7分くらい。公園沿いを走る循環バスもあるが、発着時期や曜日・時間帯に注意が必要。駐車場は有料。(東京都公園協会「水元公園」より)

<写真>
⇓左が小合溜(こあいだまり)
水元公園①
⇓もう少し先まで歩くとポプラ並木
水元公園②
⇓以下、メタセコイアの森にて
水元公園③
水元公園⑤
水元公園⑥
水元公園④
水元公園⑦
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東京 丸の内

1.東京駅丸の内中央広場
 2012年10月、「約100年前の創建当時の姿を忠実に再現した(JR東京駅の)赤レンガ駅舎が、約5年間の復元工事を終えて全面開業」した。「引き続き2014年8月から丸の内駅前広場の整備が進められ」(参考①)、ついに2017年12月7日、「丸の内中央広場」として「全面供用を開始」した。この広場は、「緑陰豊かなケヤキの列植、行幸通りとデザイン的な統一を図った舗装や照明デザイン等により、丸の内駅舎とともに日本を代表する都市景観を創出し、東京駅周辺の都市観光の一役を担」っているという(参考②)。
<写真>
東京駅丸の内中央広場
東京駅丸の内中央広場201712
<参考>
①「東京駅丸の内口の再整備完了、新たな観光名所にも」(日本経済新聞2017年12月7日)
②東日本旅客鉄道株式会社「東京駅丸の内駅前広場の供用開始について」(PDF)

2.初冬の丸の内仲通り
 丸の内仲通りは「丸ビル、丸の内パークビル、新東京ビルなど17のビルが立ち並ぶ丸の内のメインストリート。石畳や道の両側の街路樹が美しい通り沿いには、高級ブランド店をはじめとするショップ、レストラン、カフェ、オフィス、アートなどオブジェなどがあり、……時期によりガーデニングショー、クリスマスイルミネーションなど、見ごたえのある季節イベントが催される」(レッツインジョイ東京「丸の内仲通り」)。
以下、丸の内仲通り
丸の内仲通り1
丸の内仲通り2
丸の内仲通り3
丸の内仲通り4
⇓丸の内行幸通り
行幸通り201712

晩秋の公園(2)

1.都立代々木公園(東京都渋谷区)
代々木公園は、東京都渋谷区にある公園。所轄は東京都建設局、指定管理者は東京都公園協会で、代々木公園管理事務所が管理している。
以下、東京都公園協会のWebサイトから引用。「代々木公園は、23区内の都立公園の中で五番目に広く、道路を挟んで森林公園としてのA地区と、それとは対象的な陸上競技場、野外ステージなどを備えたB地区とに分かれています。かつて陸軍代々木練兵場だったこの場所も、戦後は米軍の宿舎敷地・ワシントンハイツとなり、東京オリンピックの選手村を経て公園となりました。開園当時はまだ若かった木々も、今ではすっかり成長し、隣接する明治神宮の木々と共に緑濃い森を作っています。また平成3年5月には、高さ15m~30mに及ぶ大小3基の噴水や水回廊をもつ水景施設が完成、“水と緑”に恵まれた公園として生まれかわりました。」
代々木公園1
代々木公園2
代々木公園3
代々木公園4
2.国営昭和記念公園(東京都立川市)
なお、以下の写真は2014年~2015年に撮影。
①花木園売店付近
昭和公園2-1
昭和公園2-2
②日本庭園
昭和公園2-3
3.都立武蔵国分寺公園(東京都国分寺市)
都立武蔵国分寺公園は、「旧国鉄鉄道学園跡地及び逓信住宅跡地に造られ」、「一周500メ-トルの円形芝生広場を中心に、旧鉄道学園時代からのサクラ・ケヤキ・イチョウなどの巨木 を生かし、池・噴水を加えた水と緑のゆったりした公園」(国分寺市のホームページより)。公園駐車場は手狭なので、満車の場合は近くの有料駐車場を利用する。
武蔵国分寺公園1

太田記念美術館 表参道

<写真>
下の写真は太田記念美術館(東京都渋谷区)のある表参道で撮影したもの。
①東急プラザ表参道原宿
ショップ、レストラン、カフェなど29店舗がはいる
東急プラザ2017101
⇓東急プラザから見た神宮前交差点
東急プラザ2017102
②表参道ヒルズ
「商業施設、住宅施設、及び駐車場からなる複合施設」
表参道ヒルズ2017101
表参道ヒルズ2017102
表参道ヒルズ2017103
③FENDI(フェンディ)
「イタリア発高級小売店。デザイナーアパレル、アクセサリー、革製品を販売」
FENDI
④Casa d’ Angela
ウエディングサロン
Casa d'Angela

<葛飾北斎と3つの美術館訪問>
2017年10月、すみだ北斎美術館(東京都墨田区)と太田記念美術館(東京都渋谷区)を訪ねた。北斎美術館は「北斎及び門人の作品を紹介するほか、北斎と『すみだ』との関わりなどを分かりやすく紹介して」いる(常設展、パンフレットより)。いっぽう太田記念美術館は「浮世絵専門の美術館」で、「実業家の故・五代太田清蔵が国内外から蒐集したコレクションをもとに設立され」た(パンフレットより)。
 太田美術館では、9月30日から10月29日までの企画展「葛飾北斎 富岳三十六景 奇想のカラクリ」で、「富嶽三十六景」の全46点を一挙に展示。「それぞれの作品に隠されている北斎の奇抜なアイディアを読み解いてい」る(同上パンフレット)。富嶽「三十六景」というが、実際には全部で46図あり、天保2年(1831年)から天保4年(1833年)頃にかけて描かれた。また北斎の3女お栄(画号は応為)の作品、「吉原格子先之図」も公開展示されていた。
 2つの美術館で北斎の作品をじっくり観賞。今回は北斎の絵の構図に注目した。構図の「奇抜なアイディア」に驚く。 

10月下旬、国立西洋美術館で開催中の展示会「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」(企画展示室)も観賞。平日の午後にもかかわらず、かなり混雑していた。みんな行儀よく並んで歩き、作品を観賞する。

以下は朝日新聞「北斎 情念の絵師」(2017年10月4日)より引用。
「画才に恵まれ努力も惜しまず、還暦を過ぎた頃から優れた版画や絵が次々に生み出されてきた。『画狂老人卍』(がきょうろうじんまんじ)と名乗った70代からは肉筆画が増え、特に、数え90歳で他界する最晩年の2年間は傑作ぞろい。絵には『百』の印が押されているのが特徴だ。その印には『百歳まで生き、絵の道を究めて『神の領域』を目指したい』という北斎の情念が込められている。」

築地 月島

<写真>
写真①築地本願寺
築地本願寺1
築地本願寺2
写真②銅板貼りの民家(築地)
火事で燃えにくいことから銅板が貼られています
築地銅板貼り建築1
写真③カトリック築地教会
東京で最古のカトリック教会
築地カトリック教会
写真④月島もんじゃストリート
この「ストリート」にもんじゃ焼きの店が80店舗以上ある
月島2
月島3
月島4
写真⑤路地の民家と高層マンション 
月島1
<地図>東京都中央区 築地・月島
築地月島地図

東京メトロ地下鉄日比谷線築地駅で下車。まずはじめに築地本願寺へ。「築地本願寺は、浄土真宗本願寺派の直轄寺院……。その発祥は1617(元和3)年、西本願寺(京都)の別院として建立され」た。1657年(明暦3年)の明暦の大火により焼失し、現在の築地へ移転。「1923(大正)12年、関東大震災にともなう火災により焼失したため、……古代インドの仏教様式の外観で1934(昭和9)年に現本堂が落成」した(築地本願寺のパンフレットより)。次に築地6丁目・7丁目(東京都中央区)へ。このあたりには、「関東大震災後、耐火性を重視した銅板貼りやモルタルの建物」が多い(朝日新聞、2017年9月7日夕刊)。「築地は戦災の被害を受けていないので、かつては昭和初期の建物の宝庫であった。」(東京DOWN TOWN STREET 1980’s中央区の銅板貼り建築~その二)銅板貼りの建物を見たあと、聖路加国際病院方面へ歩く。この病院のすぐ近くにカトリック築地教会がある。同教会のパンフレットから次に引用してみる。「1874年、東京で最初の教会として明石町の外国人居留地[注1]に建てられました。キリスト教解禁後の拠点であり、初の東京カテドラル(司教座聖堂)となりました(後にカテドラルは関口に移転されました)[注2]。ゴシック風の壮麗な教会は関東大震災で瓦解し、1927年……ギリシア建築ドリア式の規範によって建てられました。」

晴海通りへ戻り、勝鬨橋(かちどきばし)、勝どき橋駅(都営地下鉄大江戸線)を経て月島(東京都中央区)へ。1980年代後半から始まる都市開発と2つの地下鉄駅の開業により[注3]、今では高層マンションが林立している。月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)には「もんじゃ焼き」の店が数多く軒を並べている。商店街から狭い路地に少し入ると、昔ながらの民家が建っていて、下町の雰囲気を残している。狭い路地に密集する2階建ての民家と林立する高層マンション……。「最新の東京と古い東京が混在する町……が月島である」(SUUMOタウン「朝と川と月島」より)。帰りは、勝どき橋駅から地下鉄に乗り自宅へ。歩数計によると、1万7000歩も歩いていたことになる。

[注1] 1869年(明治2年)に築地居留地が設けられ、1899年(明治32年)の治外法権撤廃とともに廃止された。
[注2] 「司教座聖堂」とは、「カトリック教会の教区の中心となる教会の聖堂のことで、大聖堂(カテドラル)とも呼ばれている」(Wikipedia「司教座聖堂」)。「関口」に移転した「カテドラル」とは、カトリック東京カテドラル関口教会のこと。東京都文京区関口にある。
[注3] 「2つの地下鉄駅の開業」とは、1988年(昭和63年)の東京メトロ有楽町線月島駅と、2000年(平成12年)の都営大江戸線月島駅の開業のこと。ところで、佃島(つくだじま)と月島は「ひとつの島」のように見えるが、もともとは別々の島であった。隅田川河口の石川島と江戸時代のはじめに造成された佃島が、江戸後期にひとつの島(佃島)になった。明治時代のはじめに、さらに南に埋め立てられて造成されたのが月島。「佃島と月島を隔てていた佃川は、佃大橋の取り付け道路建設のために埋め立てられ、島であった佃島[と月島]は陸続きに」なった(Wikipedia「佃島」より)。佃大橋の完成は1964年8月で、東京オリンピック開催(10月)の直前のことであった。なお、「佃島」という住所表示はなく、現在は「佃」に統一されている。

<参考>
東京DOWN TOWN STREET 1980’s中央区の銅板貼り建築~その二
月島西仲通り商店街
SUUMOタウン「朝と川と月島」

プロフィール

yamashiro94

Author:yamashiro94
東京都内、多摩地方、近県でカメラを持って散策しています。旅行・歴史・地理・文学・音楽などから最近気になったことまで、何でもとりあげています。写真なしの場合もあります。上の写真はマレーシアのクアラルンプール駅。2007年撮影。

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