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由比ガ浜(神奈川県鎌倉市)

 鎌倉へ行くといくつかのお寺を巡ることになるが、帰りは必ず海岸へ立ち寄る。だから由比ガ浜では夕方になることが多い。
JR横須賀線鎌倉駅で降り、若宮大路を南へ歩くと由比ガ浜にたどり着く。ここから海岸通りを江ノ島方面へ歩き続ける。稲村ケ崎、七里ガ浜、腰越漁港、片瀬海岸東浜を経て江ノ電江ノ島駅あたりで休憩。片瀬海岸西浜へ行くこともあるが、そのまま江ノ島まで歩く。江ノ島神社を経由して稚児が淵(ちごがふち)へ。江ノ電江ノ島駅へ戻り、今度は電車に乗って長谷駅で降りる。ここから由比ガ浜まで歩くと夕方になる。海岸で太陽が沈むのを見てから、若宮大路を経てJR鎌倉駅へ。ここから帰途に就く。
 逆のコースを歩くこともある。東海道本線藤沢駅で小田急江ノ島線に乗り換え、片瀬江ノ島駅からスタートする。江ノ島を散策すると、先ほどとは逆に海岸通りを歩く。そうするとちょうど由比ガ浜あたりで夕方になる。夕日が海に沈むといいのだが、そうはならない。ここ由比ガ浜から若宮大路を経てJR鎌倉駅へ。ここからJRを乗り継いで帰宅する。
 どちらのコースを歩いても、まるまる半日近く歩くことになる。また、どちらも最後は由比ガ浜の海岸へ行く。ただし、時間がないときや真夏は海岸通りを歩くのをやめ、江ノ電に乗ることしている。海を見ながら歩くのは気分爽快。

<地図>
⇓鎌倉市海岸通り(国道134号線)
鎌倉市国道134号線(海岸通り)20200611
<写真>撮影は2016年6月11日18時30分ころ
⇓由比ガ浜から逗子方面を見る
鎌倉由比ガ浜2016061102
⇓由比ガ浜。バス停「坂の下」の上のある「坂の上」あたりに沈む夕日
鎌倉由比ガ浜2016061103
⇓浜辺で遊ぶ子どもたちのひとり
鎌倉由比ガ浜2016061104
鎌倉由比ガ浜2016061105
鎌倉由比ガ浜2016061106
鎌倉由比ガ浜2016061107
鎌倉由比ガ浜2016061108
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明月院(神奈川県鎌倉市)

 明月院は北鎌倉にある禅寺で、あじさい寺として有名。いまごろはここを訪れる人であふれる人気のお寺。JR横須賀線北鎌倉駅で下車し、徒歩15分くらいで着く。鎌倉へは四季を問わず訪れているが、ここ明月院を訪れるのはいつもアジサイの花が咲く6月。近くには円覚寺、東慶寺、浄智寺、建長寺などのお寺があり、もう少し足を延ばすと、源頼朝ゆかりの鶴岡八幡宮(途中、バスに乗ってもよい)。さらにここから若宮大路か小町通りを歩いてJR鎌倉駅へ行くことができる。これは少し欲張なコース。
 明月院の歴史は古く、平安時代の末期に創建された名月庵が起源だという。室町時代、関東管領の上杉憲方(のりまさ、のりかた)によって、名月庵は禅興寺(ぜんこうじ)の「支院」となり、明月院と改称された。ただし寺としての独立した寺領はもっていた。明治はじめ禅興寺は廃寺となったが、明月院は今日まで残ることになった。なお、禅興寺は鎌倉幕府8代執権北条時宗のころに開創された。
※Webサイト「鎌倉ぶらぶら」などの、明月院の由来をいくつか参考にしたが、かなり簡略に記した。

<写真>撮影は2016年6月11日、2018年6月7日
⇓明月院。正面の門は「拝観口」
明月院2020060701
⇓桂橋
明月院2020060702
⇓山門へ
明月院2020060703
明月院2020060704
明月院2020060705
明月院2020060706
⇓明月院、遠くに見える建物が本堂
明月院2020060707
⇓本堂の「丸窓」を撮る人が長蛇の列をつくる。そこで、本堂裏の庭園から丸窓を撮る(イマイチ!)
明月院2020060708

生田緑地ばら苑(神奈川県川崎市)

 生田緑地ばら苑は、多摩丘陵の雑木林を切り拓いてつくられいる。バラの開花時にあわせ、春と秋の年2回開苑している(今年の春は休苑)。春はおよそ800種3300株、秋はおよそ625種2900株のバラが咲く。小田急線「向ヶ丘遊園駅」(南口)から徒歩で15分、バスに乗ると5分くらいで行ける。
 このばら苑は、小田急向ヶ丘遊園(閉園)の跡地に整備された。もともと遊園地内に整備されていたばら苑を、「存続を求める多くの市民の声に応え、2002年(平成14年)に川崎市が引き継いだ」という。このばら苑の歴史は古く、「開苑は1958年(昭和33年)にさかのぼり、当時は『東洋一のばら苑』と賞され」ていたという。
 なお、このばら苑は、ボランティアの協力によりバラの育成や施設内の管理を行っている。定期的に専門講師による指導を実施しているというのも珍しい。(以上、「生田緑地ばら苑」のHPを参照した)

<写真>2016年5月18日撮影
⇓生田緑地ばら苑(神奈川県川崎市)。およそ3分の1くらいの範囲が写っている。この写真のみ2019年5月22日撮影
生田緑地ばら苑2016051801
⇓春はおよそ800種3,300株のバラが咲いている。以下、2016年5月18日撮影
生田緑地ばら苑2016051802
生田緑地ばら苑2016051803
生田緑地ばら苑2016051804
生田緑地ばら苑2016051805
生田緑地ばら苑2016051806
生田緑地ばら苑2016051807

鎌倉由比ガ浜(ゆいがはま)

 神奈川県鎌倉市の南部にある由比ヶ浜は、相模湾に面した海岸の名称で、海水浴場として知られている。緊急事態宣言により駐車場が閉鎖されているのにもかかわらず、先ごろまで由比ガ浜を訪れる人があまりにも多かった。強く「自制」が求められる。

 ところで、由比ガ浜のあたりは「鎌倉時代には御家人同士の激戦地」(注①)であり、「問注所での裁判の結果の処刑場でもあった」(注②)。このため、「現在でも人骨は埋まっており、工事で当時の人骨が出土する」こともある。また、「新田義貞が稲村ヶ崎(いなむらがさき)を突破して(由比ガ)浜に進攻、幕府の滅亡を決定的にした」という(注③)。鎌倉はやはり「歴史の街」でった。(引用部分はWikipedia)


<写真>2016年4月30日撮影
①鎌倉由比ガ浜
⇓由比ガ浜のはるか向こうに葉山市、横須賀市の丘陵が見える
鎌倉由比ガ浜2020042701
鎌倉由比ガ浜2020042702
鎌倉由比ガ浜2020042703
鎌倉由比ガ浜2020042704
鎌倉由比ガ浜2020042705
②稲村ケ崎より
稲村ケ崎より2020042706
<注>
①御家人……鎌倉幕府の将軍と主従関係を結んだ武士のこと。「御家人同士の激戦地」は注③を参照のこと。
②問注所……鎌倉幕府の裁判所。
③新田義貞と鎌倉幕府の滅亡……1333年5月21日、新田「義貞がおりよく潮のひいた稲村ケ崎から鎌倉へ突入し、極楽寺坂方面の防御はやぶれた」。翌22日、北条「高時(鎌倉幕府最後の執権)は一門・御内のものとともに……北条氏代々の墓所東勝寺(とうしょうじ)へ入った。心残りないまで戦い、血に染まって帰りついた一門の者、御内の者が主のまえで腹かき切り、あるいは父子・兄弟さしちがえて死んだ。やがて高時も自刃(じじん)した。……百五十年にわたる鎌倉幕府はこうして滅亡した」(黒田俊雄『蒙古襲来』より)。稲村ケ崎と極楽寺は今も残る地名と寺。東勝寺は廃寺。

鎌倉文学館、江の島稚児ケ淵(ちごがふち)

 現在、外出を自粛しているため、今回も2016年に撮影した写真より掲載。横浜市に若いころ4年間も住んでいたこともあり、鎌倉ヘは今もよく訪れる。

 神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある鎌倉文学館は、「鎌倉ゆかりの文学、特に鎌倉文士をテーマにした鎌倉市立の資料館」です。文学館となっている建物は、旧加賀藩前田家の別邸。1983年に鎌倉市が前田家より譲り受け、2年後鎌倉文学館として開館した。鎌倉文学館では、鎌倉ゆかりの文学者(川端康成、夏目漱石、与謝野晶子ら)の「直筆原稿や手紙、愛用品などを収集保存し、展示してい」る(鎌倉文学館HPやインターネットミュージアム、Wikipediaを参照した)。

 JR横須賀線鎌倉駅から江の島まで、「海岸通り」(国道134号)をよく「歩く」。全部歩くこともあるが、一部は江ノ電を利用することもある。江の島の稚児ケ淵(ちごがふち)は、関東大震災により、波蝕台地が隆起して生まれた岩場で、磯遊びや釣りが楽しめるほか、富士山を望むこともできる(成美堂出版『鎌倉散歩』より)。

 「えのしま」は、「江の島」、「江ノ島」、「江島」などと書かれている。「えのしま」の住所表記は、1966年に藤沢市が「江の島」に統一。住所表記が「江の島」だから島の名前も「江の島」だが、「江ノ島」でもかまわない。湘南モノレールの「湘南江の島駅」、小田急電鉄の「片瀬江ノ島駅」、江ノ島電鉄(略称、えのでん)の「江ノ島駅」だが、神社は「江島神社」(江ノ島神社とも)と表記されている(この項のみ2020/01/06の記事から)。

<写真>2016年4月30日撮影
①鎌倉文学館
⇓正門?だがここからは入れない。文学館へは右側?の入口から入る(記憶があいまい)
鎌倉文学館2020042401
⇓正門から続く階段
鎌倉文学館2020042402
⇓旧前田家別邸。現在、鎌倉文学館(博物館)の本館で国の登録有形文化財。
鎌倉文学館2020042403
⇓この建物の南側にバラ園がある
鎌倉文学館2020042404
②江ノ島稚児が淵(ちごがふち)
⇓関東大震災により隆起してできた岩場
江ノ島稚児ケ淵2020042405
江ノ島稚児が淵2020042406
⇓夕方6時ころに見た富士山(中央やや左側)。手前の海は相模湾
江ノ島稚児が淵2020042407
⇓日没直後の富士山(左下)
江ノ島稚児が淵2020042408