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江戸東京たてもの園(東京都小金井市)③

 江戸東京博物館の分館である江戸東京たてもの園は、園内を3つのゾーンに分けている。今回は東ゾーンの「その2」。「東ゾーンは下町の風情漂う昔の商家・銭湯・居酒屋などの街並みとなってい」る。「江戸時代末期から昭和にかけて造られた建物のなかに当時の生活ぶりや、商家の様子を再現してい」る。なお、感染拡大防止のため、建物内へ入ることはできない(銭湯「子宝湯」を除く)。ただし、土間へ入り、そこから室内の写真を撮ることはできる。

<資料>
東京都歴史文化財団編集『江戸東京たてもの園 収蔵建造物のくらしと建築」(解説本、2003年)

<写真>2020年6月27日(曇天)、2020年7月2日(晴天)
⇓仕立て屋、明治12年建築。正面の格子などに、江戸からの町屋の造りをうかがうことができる。東京都文京区
江戸東京たてもの園2020071401
⇓仕立て屋、内部は大正期の仕立て屋の仕事場(4畳半)を再現(奥にも6畳の仕事場がある)
江戸東京たてもの園2020071402
⇓鍵屋(居酒屋)、1856(安政3)年に建てられた。東京都台東区下谷(しもや)の言問(こととい)通りにあった
江戸東京たてもの園2020071403
⇓鍵屋(居酒屋)の「みせ」(土間)、左の部屋は店座敷。店内は1970年頃の姿に復元されている
江戸東京たてもの園2020071405
⇓鍵屋(居酒屋)の店座敷。奥に電気釜と電気洗濯機が見える(子どものころ、同様の製品を見た記憶がある)
江戸東京たてもの園2020071404
⇓子宝湯(銭湯)、昭和4年に東京都足立区に建てられた
江戸東京たてもの園2020071406
⇓子宝湯(浴場)、子どもの頃にはよく銭湯へ行っていた
江戸東京たてもの園2020071407
⇓子宝湯(脱衣場)
江戸東京たてもの園2020071408
⇓川野商店(和傘問屋)、東京都江戸川区南小岩に大正15年に建てられた
 写真は手前から①店、②茶の間、③奥座敷が写っている。立派な建物だが、一人一人の個室を確保するという建て方ではない
江戸東京たてもの園2020071409
⇓天明家(てんみょうけ)、農家。現在の東京都大田区に18世紀後半に建てられた
 江戸時代には名主(なぬし)を務めていた(関西などの庄屋と同じ)。名主は江戸時代の村役人で、村方三役の長
江戸東京たてもの園2020071410
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江戸東京たてもの園(東京都小金井市)②

 江戸東京博物館の分館である江戸東京たてもの園は、園内を3つのゾーンに分けている。西ゾーンとセンターゾーンは前回。今回は東ゾーンの「その1」。「東ゾーンは下町の風情漂う昔の商家・銭湯・居酒屋などの街並みとなってい」る。「江戸時代末期から昭和にかけて造られた建物のなかに当時の生活ぶりや、商家の様子を再現してい」る。また、「復元建造物以外にも都電や上野消防署の望楼、午砲(ごほう、時間を知らせるために撃つ大砲=空砲)、寛永寺灯籠などの29件の屋外展示物」がある。
 なお、江戸東京たてもの園のある小金井公園も「都立」で、上野公園の1.4倍に相当する。1800本の桜の木が植えられ、花見の名所として知られている。

<資料>
東京都歴史文化財団編集『江戸東京たてもの園 収蔵建造物のくらしと建築』(解説本、2003年)

<写真>2020年6月27日(曇天)、2020年7月2日(晴天)
⇓「江戸東京たてもの園」東ゾーン(下町、中通り)
江戸東京たてもの園2020070901
⇓丸二商店(荒物屋)
 昭和初期に建てられた荒物屋。外壁部分は小さな銅板細工の模様になっている。千代田区神田神保町三丁目にあった。
江戸東京たてもの園2020070902
江戸東京たてもの園2020070903
⇓建物の中央・右側は丸ニ商店北面(住居部分と店舗)。左側は長屋。この長屋(2世帯分)は総2階建てで、台所が奥に位置している。それぞれの世帯に1階と2階がある。関東大震災後の長屋の特徴をもつ。
江戸東京たてもの園2020070904
⇓丸二商店横にあった路地の情景を復元
江戸東京たてもの園2020070905
⇓左は武居三省堂(たけいさんしょうどう)、明治初期に創業した文具店(卸売り)。店舗兼住宅。右は花市生花店(はないちせいかてん)、昭和初期に建てられた花屋。それぞれ東京都千代田区神田にあった
江戸東京たてもの園2020070906
⇓武居三省堂(たけいさんしょうどう)の店舗内の様子。文具店(卸売り)
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江戸東京たてもの園2020070908
⇓小寺醤油店。大正期から営業していた店。味噌や醤油、酒類を売っていた。東京都港区白金にあった
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⇓小寺醤油店の店舗内の様子
江戸東京たてもの園2020070910
※東ゾーン「その2」へ続く。

江戸東京たてもの園(東京都小金井市)①

 江戸東京たてもの園(東京都江戸東京博物館分館)は、1993年に開園した野外博物館。都立小金井公園内にあり、敷地面積は約7ヘクタール。園内には現在、30棟の復元建造物が立ち並んでいる。JR中央線武蔵小金井駅または西武鉄道新宿線花小金井駅からバス5分。
 江戸東京たてもの園では、園内を3つのゾーンに分けている。西ゾーンでは「大正末から昭和前期にかけて建てられた、さまざまな建築様式の住宅を復元して」いる。「さらに西へ行くと江戸時代の茅葺き民家が並んでい」る。センターゾーンには高橋是清邸や伊達家(旧宇和島藩伊達家)の門など、歴史的建造物が立ち並んでいる。(東ゾーンは次回)

<資料>
 東京都歴史文化財団編集『江戸東京たてもの園 収蔵建造物のくらしと建築』(解説本、2003年)

<写真> 撮影は2020年6月27日、2020年7月2日
 感染拡大防止のため、建物内へ入ることはできない(土間は除く)。何度も行っているので、屋内の写真もたくさんあるが、今回は屋外または土間から撮った写真だけを利用した。なお、私は建築に関する知識がまったくないので、以下の説明は入場時にもらえる「リーフレット」から、おもに引用した(一部、解説本も利用)。詳しくは上記の資料を参照して欲しい。間取りなども掲載されている。

⇓「田園調布の家(大川邸)
 1925(大正14)年、郊外住宅地の一つである東京都大田区田園調布に建てられた住宅。居間を中心に食堂・寝室・書斎などが配置されている。当時としては珍しく全室が洋間。大正後期の郊外住宅への理想が感じとれる住宅。私は、寝室の南東側に備え付けられたテラスに魅力を感じている。
江戸東京たてもの園2020070511
⇓前川國男邸
日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、東京都品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅。戦時中に建てられたので建築資材の入手が困難であったそうだ。私は、シンプルな間取りに惹かれる。戦時下なので、延べ床面積に制限があったからかもしれない。
江戸東京たてもの園2020070501
江戸東京たてもの園2020070502
⇓デ・ラランデ邸
この住宅は、元は平屋建ての洋館であったが、1910(明治43)年頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築された。もともとは東京都新宿区信濃町にあった。建物内部はとても重厚な造りになっている。
江戸東京たてもの園2020070503
⇓綱島家(農家)
江戸時代中期の家。東京都世田谷区岡本三丁目にあった。多摩川をのぞむ崖線上にあった、茅葺きの民家。土間が建物内の約3分の1を占める。畳の座敷は2部屋ある。私は、広い土間と、板敷の広間や勝手(台所)に当時の生活ぶりを偲んでみた。
江戸東京たてもの園2020070504
⇓八王子千人同心組頭の家
東京都八王子市追分町にあった、江戸時代後期の家。八王子千人同心は、江戸時代、八王子に配備されていた徳川家の家臣団。拝領屋敷地の組頭の家は、式台付きの玄関などが格式の高さを示している。この家も土間が広く、居間と勝手(台所)などは板敷。畳の座敷は2部屋ある。同心は下級役人だが、千人頭は200〜500石取りの旗本であった。
江戸東京たてもの園2020070505
江戸東京たてもの園2020070506
江戸東京たてもの園2020070507
⇓高橋是清邸
東京都港区赤坂7丁目にあった。1902(明治35)年に建築。明治から昭和のはじめにかけて国政を担った高橋是清(これきよ)の住まい。2階は是清の書斎や寝室として使われ、1936(昭和11)年の2.26事件の現場となった。反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺された。日銀総裁や大蔵大臣、総理大臣を務めた人だから、屋敷は相当立派。内部は見応えがある。
江戸東京たてもの園2020070508
江戸東京たてもの園2020070509

北山公園・八国山緑地(東京都東村山市)

 東村山市立北山公園は、西武鉄道西武新宿線東村山駅で降りて徒歩20分で着く。東西に走る西武鉄道西武園線の北側に八国山緑地、南側に北山公園がある。この北山公園は、初夏には約600種類8千株10万本の花菖蒲が咲き乱れ、秋には万曼殊沙華が開花する。そして「新東京八景」のひとつに選ばれているという(東村山市HP)。今年は、「東村山菖蒲まつり」は中止となっているが、花菖蒲を見ることはできる。ただ華やかさは「いまひとつ」。 
 八国山緑地は都立公園で、尾根筋より南側にあり、東京都東村山市に属する(すぐ北側は埼玉県所沢市)。東西約1.5キロメートル、南北約300メートルの丘陵(狭山丘陵の東端にある)。八国山は、標高89.4メートルの里山。かつて、ここから上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、常陸(ひたち)、安房(あわ)、相模、駿河、信濃、甲斐の8か国の山を見ることができたことから、八国山という名前がついた。この緑地は、武蔵野の面影を残している雑木林。地元の人のよき散策路となっている。ところで、八国山は「アニメ映画『となりのトトロ』に登場する七国山のモデル」。また、八国山緑地に隣接して「主人公のサツキとメイの母が入院している『七国山病院』のモデルとなった新山手病院」がある(Wikipedia「八国山緑地」)。
 この日(2020年6月21日)は、北山公園の花菖蒲をひと通り見ると、市立北山小学校のそばを経由して、八国山緑地を散策。東村山駅に戻ると、1万歩以上、歩いていた。

<写真>撮影は2014年6月12日、2020年2月3日。2020年6月の写真はない
⇓東村山市北山公園。「新東京八景」のひとつに選ばれている
東村山市北山公園2020063001
東村山市北山公園2020063002
東村山市北山公園2020063003
東村山市北山公園2020063004
東村山市北山公園2020063006
東村山市北山公園2020063005
⇓東村山市八国山緑地。
 掲示板の地図は南北が逆に描かれている。八国山は、『となりのトトロ』に登場する七国山のモデル
東村山市八国山緑地2020063008
⇓新山手病院。主人公のサツキとメイの母が入院している「七国山病院」のモデル
東村山市八国山緑地2020063009

郷土の森博物館(東京都府中市)

 2カ月半ぶりになるが、写真撮影を再開した。この間、一枚の写真も撮っていない。ただ東京都では、いまだ30人以上の感染者が毎日でている。そこで、いましばらく古い写真を掲載することもあります。ご了承ください。
 
 府中市郷土の森博物館の敷地面積は約14万平方メートルで、博物館本館、プラネタリウム、復元建物(昔の農家や町屋、歴史的な建造物など)のほか、梅園や芝生広場などがある。復元建物では、江戸時代後期から明治・大正時代にかけての建造物が7棟ある。その他には水車小屋や、1935(昭和10)年に建設された旧府中尋常高等小学校の校舎もある。小学校の教室内には、明治から昭和(戦後)にかけての古い教科書など、なつかしい展示物も多くある。
 私は毎年、梅とアジサイの花が咲くころ、ここを訪れる。JR南武線・京王線「分倍河原駅」からバスに乗り、「郷土の森正門」で降りるとすぐ近く。

<写真>撮影は2019年6月21日、2020年6月17日
府中郷土の森博物館(あじさいと屋外博物館)
⇓旧府中町役場(大正10年竣工)
府中郷土の森2020062501
⇓旧島田屋住宅(明治21年創建の蔵造の店。看板の文字は「島田薬舗」)
府中郷土の森2020062502
⇓旧河内家住宅(江戸時代後期の創建。養蚕が盛んに行われた明治時代後期の姿で復元)
府中郷土の森2020062503
府中郷土の森2020262504
府中郷土の森2020062505
府中郷土の森2020062506
府中郷土の森2020062507
府中郷土の森2020062509
府中郷土の森2020062508
⇓水車小屋(精米や製粉などに利用されていた水車を再現)
府中郷土の森2020062510