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東京 丸の内

1.東京駅丸の内中央広場
 2012年10月、「約100年前の創建当時の姿を忠実に再現した(JR東京駅の)赤レンガ駅舎が、約5年間の復元工事を終えて全面開業」した。「引き続き2014年8月から丸の内駅前広場の整備が進められ」(参考①)、ついに2017年12月7日、「丸の内中央広場」として「全面供用を開始」した。この広場は、「緑陰豊かなケヤキの列植、行幸通りとデザイン的な統一を図った舗装や照明デザイン等により、丸の内駅舎とともに日本を代表する都市景観を創出し、東京駅周辺の都市観光の一役を担」っているという(参考②)。
<写真>
東京駅丸の内中央広場
東京駅丸の内中央広場201712
<参考>
①「東京駅丸の内口の再整備完了、新たな観光名所にも」(日本経済新聞2017年12月7日)
②東日本旅客鉄道株式会社「東京駅丸の内駅前広場の供用開始について」(PDF)

2.初冬の丸の内仲通り
 丸の内仲通りは「丸ビル、丸の内パークビル、新東京ビルなど17のビルが立ち並ぶ丸の内のメインストリート。石畳や道の両側の街路樹が美しい通り沿いには、高級ブランド店をはじめとするショップ、レストラン、カフェ、オフィス、アートなどオブジェなどがあり、……時期によりガーデニングショー、クリスマスイルミネーションなど、見ごたえのある季節イベントが催される」(レッツインジョイ東京「丸の内仲通り」)。
以下、丸の内仲通り
丸の内仲通り1
丸の内仲通り2
丸の内仲通り3
丸の内仲通り4
⇓丸の内行幸通り
行幸通り201712
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晩秋の公園(3)

東京都の紅葉の見ごろは例年、(11月下旬から)12月初旬である。以下の写真は11月29日と12月3日に撮影した。
1.都立井の頭恩賜公園(東京都武蔵野市)
井の頭恩賜公園は、「日本で最初の郊外公園で、大正6年<1917年>5月1日に開園し、平成29年<2017年>5月1日には開園100周年を迎え」た。「園内は、井の頭池とその周辺、雑木林と自然文化園がある御殿山、そして運動施設のある西園と、西園の南東にある第二公園の4区域に分かれてい」る。「井の頭池は神田川の水源で、江戸時代は神田上水として江戸の人々の飲み水で」あった。(東京都公園協会「井の頭恩賜公園」ホームページより)
井の頭公園1
井の頭公園2

2.都立武蔵野公園(東京都府中市)
都立多磨霊園の北東、府中運転免許場の東に位置し、公園内には野川が流れている。「野川に沿って残る草原や雑木林を配した、野趣に富んだ公園。東京都の各公園や街路に植える苗木を育てる苗圃(びょうほ)をもち、散歩しながら木々の育成の様子を観察することができ」る。東隣りには都立野川公園がある。「野川公園の前身は、国際基督教大学のゴルフ場で」、「昭和49年<1974年>からゴルフ場を買収し、その周辺の神代植物公園、武蔵野公園、多磨霊園、調布飛行場、浅間山公園、府中の森公園などの緑地を含め『武蔵野の森構想』のもとに造成を行い、昭和55年<1980年>6月に開園」された。(「むさしのの都立公園」ホームページより)
武蔵野公園1
武蔵野公園2
武蔵野公園3

オーストラリア アデレード(2) グレネルグ

ここでも菊間潤吾著『南オーストラリアのユートピア アデレード』から引用してみる。
「グレネルグへは、夕刻訪れたい。セント・ビンセント湾に沈む真っ赤な太陽は、間違いなくハイライトの1つになるだろう。」「グレネルグ桟橋。シティからトラム(路面電車)に乗ってわずか25分、夕日を見るためだけでも出かけたい。」
①開拓者の碑
グレネルグはアデレード入植者が初めて上陸した場所。開拓者の碑は、南オーストラリア州の設立100周年を記念して建てられた。
⇓右が開拓者の碑、左が旧タウンホール
旧タウンホールと開拓者の碑
⇓開拓者の碑から桟橋方面を撮影
開拓者の碑
②旧タウンホール(旧市庁舎)
⇓左が旧タウンホール。開拓者の碑を囲む広場のすぐ近くにある。
タウンホール
③グレネルグのビーチ
グレネルグのビーチ1
グレネルグのビーチ2
④グレネルグ桟橋
⇓ここから見た夕日が美しい。夕方になると人々がこの桟橋に集まる。
グレネルグ桟橋1
グレネルグ桟橋2
グレネルグ桟橋3
グレネルグ桟橋4
グレネルグのビーチ3
 
<参考>
①菊間潤吾著『南オーストラリアのユートピア アデレード』
②NHK『世界ふれあい街歩き アデレード

オーストラリアの「移民政策」

 竹田いさみ著『物語 オーストラリアの歴史 多文化ミドルパワーの実験』より引用してみる。
この本は、「オーストラリア社会を解剖する一つの切り口として移民政策を取り上げ、150年間の変遷の中で、アジア系労働者や移民がいかに導入され、そして拒絶されつづけた末に、なぜ再び受け入れられるようになったのかを明らかに」している。そして、このことに「オーストラリア型多文化社会を理解する鍵が、隠されている」という。
 それでは「なぜ、白豪政策という強烈な名称の国家政策を導入しなければならなかったのであろうか」。それは「中国人に代表されるアジア系外国人労働者が急速に増加し、社会的脅威を形成するまでになっていた」からであった。「当時のオーストラリア人にとって、それは自己防衛のための本能的な対策であった。……アジア系労働者の大量流入現象と、中国人の定住化の前に大多数のオーストラリア人が合意できた解決策が、アジア人を主体とする有色人種の締め出しであり、その結果として白豪社会を実現することであった。……アジア系外国人労働者の入国を原則として禁止した法律が……移住制限法(注1)である。」
 しかしよく考えると、なぜこれほどまでに外国人労働者が流入し定住するようになったのか。もちろん「白人」側の事情も大きく影響している。簡潔に示せば、①奴隷制の廃止、②海外流刑地制度の中止、③相次ぐ金鉱の発見などである(前掲書)。人の「移動」にはオーストラリア(イギリス)側にも理由があったということ。「アメリカ大陸やオーストラリア大陸における労働者不足を解決する手段」として、アジア系外国人労働者を「組織的に導入」した結果であった。「アジア系労働者とは、現代の日本が直面している外国人労働者のイメージに近い。」オーストラリアは、1970年代から1980年代にかけて、それまでの「移民政策を放棄し」、「アジア人を主体とした非白人の移民を合法化」した。日本では近年、外国人技能実習生や「出稼ぎ(偽装)留学生」などでさまざまな問題がおきている。いずれ日本でも外国人労働者の「流入」や外国人の「定住」に厳しい対応を迫られるに違いない。そのようなとき、オーストラリアの「移民政策」に多くを学ぶことになるだろう。
(注1)1901年制定
(注2)オーストラリアが再び「非白人の移民を合法化」した理由ついては本書を読んで欲しい。

オーストラリア アデレード(1)

私がアデレードを訪れたいと考えたのは、書店で偶然ある本をみかけ、購入したことによる。日本人でアデレードを訪れる人は少ない。シドニーやその他のリゾート地のことは知らないが、アデレードでもメルボルンでも、日本人の観光客をあまり見かけなかった。旅行者の大半は中国人だ。空港の案内表示は、英語と中国語の2か国語。中国の「勢い」を感じる。じっさい、市街地のいたるところで中国人を見かけた。

1.ノーステラス
ハインドリーストリートとランドルモールの北側にある通り。アデレード駅から東へ並木の続く通り沿って歩くと、州議事堂、移民博物館、州立図書館、南オーストラリア博物館、美術館、アデレード大学、南オーストラリア大学、王立アデレード病院などがある。さらに東へ歩くとアデレード植物園。アデレード大学の北にはアデレード動物園がある。
①アデレード駅
オーストラリアの各州を結ぶ列車は、市の西にあるケズウィック駅で発着。ノーステラス沿いのアデレード駅までは電車で1区間。
アデレード駅
②移民博物館
かつての移民収容所だった建物を利用した博物館。移民の歴史を紹介。日本人の若者も多く訪れている。
移民博物館

2.アデレード中心街
①ランドルモールとランドルモール駅
アデレードで一番にぎやかなショッピングストリート。デパート・専門店・カフェ・映画館などの店が並ぶ。
⇓ランドルモール
ランドルモール
⇓ランドルモール駅
ランドルモール駅
②中央郵便局
中央郵便局
③聖フランシスコ・ザビエル教会
聖フランシスコ・ザビエル教会1
④セントラル・マーケット
ビクトリア・スクェアのすぐ近く。このマーケットは120年の歴史があり、隣にチャイナタウンもある。
セントラルマーケット

4.ノースアデレード
トレンズ川の北がノースアデレード、南がシティ。セント・ピーターズ大聖堂から北に高級住宅地が広がる。
①トレンズ川
初期のアデレード入植民に飲料水を供給していた(現在はマレー川が供給)。川辺の散歩、サイクリング、ボートなど、市民のレクレーションの場となっている。
トレンズ川2
②セント・ピーターズ教会
ゴシック建築の大聖堂をもつ教会。アデレードの教会のなかでもっとも見ごたえがある。
セント・ピーターズ教会1
セント・ピーターズ教会2
③メルボルン通り
ノースアデレードのショッピングゾーン。古いテラスハウスを利用したカフェやレストラン、ブティックなどの店が並んでいる。
メルボルン通り

以下、菊間潤吾著『南オーストラリアのユートピア アデレード』から引用してみる。
「南オーストラリア州の州都、アデレード。整然と区画された緑豊かな街を歩いていると、色鮮やかな野鳥が頻繁に飛び交い、透き通った鳴き声が聞こえてくる。特に意識しなくても自然に触れられ、公共交通機関を含む交通道路網が充実し、治安も良く、博物館や美術館といった余暇を楽しめる文化的な施設も多い。新鮮で多様な食材にも恵まれたグルメの街。旅行者にも優しく、海外旅行のベテランたちが上位にあげる“理想都市”でもある。」

私はでトラム(路面電車)やバスにできるだけ乗らないで、「歩いて」アデレードを散策した。中心街ばかりでなく、ノーステラスやイーストテラス、トレンズ川沿い、ノースアデレードなども歩いて巡った。1日だけトラムに乗って郊外のグレネルグへ行った。アデレード近郊にはカンガルー島など見どころも多いが、私は市内とグレネルグにだけ数日間滞在し、ゆっくり歩いて、気に入った場所には何度か訪れて過ごした。確かに「住みやすい都市」であることを実感した日々であった。前掲書のほか、『地球の歩きから~オーストラリア』('07~’08版)などから引用した。

<参考>
①菊間潤吾著『南オーストラリアのユートピア アデレード』
②NHK『世界ふれあい街歩き アデレード

「住みやすい」都市 メルボルンとアデレード

世界で最も住みやすい都市ランキング」(イギリス、エコノミスト誌、2017年)によると、「オーストラリアのメルボルンが7年連続で1位で選ばれた」。「調査は安全性、医療、文化・環境、教育、インフラの5項目で評価され、メルボルンは100点満点中97.5点」だそうだ。アデレードは5位であった。オーストラリアとカナダの都市が上位を占め、「首位から4位までは0.1点の僅差」。調査項目が5つしかない、このような「評価」が妥当かどうかは疑問だが、ひとつの参考とするのはかまわないだろう(注)。
以下にランキングのトップ10をあげてみる。
住みやすい都市2
私は2013年3月にアデレードとメルボルンに15日間滞在した。確かに「住みやすい」都市であると思う。気候は温和。雨が少ないため天気の良い日が続く。都市の中心部に公園が多く、道幅も広い。交通渋滞はほとんどなく、駅が大混雑ということもあまりない。両都市が(一般論として)「住みやすい」都市であることに異論はない。しかし、どのような都市が「住みやすい」かは、個人の好みや事情による。また、「職」が得やすいかどうかも切実な問題だ(人は経済的理由のために、そして「生きる」ために「移動」する)。もともと「住みやすい」都市が「働きやすい」「職を得やすい」都市であるとは限らない。ところで欧米系以外の人たち、とくに原住民のアボリジニにとって「住みやすい」都市であるかどうかは、今回の旅では分からなかった。

私がオーストラリアの両都市に関心があるのは、「住みやすい」都市であるからではない。オーストラリアの「移民対策」に、とくに関心があるからだ。私が読んだ本で興味深かったのは次のとおり。ただここでは「移民政策」については触れない。
①竹田いさみ著『物語 オーストラリアの歴史 多文化ミドルパワーの実験』(2000年)
②浅川晃広著『オーストラリア移民政策論』(2006年)
③石井由香『エスニック関係と人の国際移動 現代マレーシアの華人の選択』(1999年)
 マレーシアの中国系の人たちが「移動」先としてオーストラリアを選ぶことが多い、ということをこの著書で知った。

(注)エコノミスト誌と同様、イギリスのMONOCLE(モノクル、総合月刊誌)の「世界の住みやすい都市ランキング」によると、「20位以内に日本の3都市」が入るという。「犯罪統計や医療制度、ビジネス環境のほか、文化活動への貢献やおいしいランチの値段、行楽地のアクセスなどを考慮して順位をつけ」ているという(調べる項目が変われば順位も変わるのは当然)。25位までの順位は以下の通り。①東京、②ウィーン(オーストリア)★、③ベルリンとミュンヘン(ともに独)、⑤メルボルン(豪)★、⑥コペンハーゲン(デンマーク)、⑦シドニー(豪)、⑧チューリッヒ(スイス)、⑨ハンブルク(独)★、⑩マドリード(スペイン)、⑪ストックホルム(スウェーデン)、⑫京都、⑬ヘルシンキ(フィンランド)、⑭福岡、⑮香港、⑯リスボン(ポルトガル)、⑰バルセロナ(スペイン)、⑱バンクーバー(カナダ)★、⑲デュッセルドルフ(独)、⑳アムステルダム(オランダ)、㉑シンガポール、㉒オークランド(ニュージーランド)★、㉓ブリズベン(豪)、㉔ポートランド(米)、㉕オスロ(ノルウェー)。エコノミスト誌とモノクルの両方にランキング(★)されているのは、ウィーン、メルボルン、ハンブルク、バンクーバー、オークランドの5都市。東京が「世界の住みやすい都市」の1位とは、とても思えないのだが……。

晩秋の公園(2)

1.都立代々木公園(東京都渋谷区)
代々木公園は、東京都渋谷区にある公園。所轄は東京都建設局、指定管理者は東京都公園協会で、代々木公園管理事務所が管理している。
以下、東京都公園協会のWebサイトから引用。「代々木公園は、23区内の都立公園の中で五番目に広く、道路を挟んで森林公園としてのA地区と、それとは対象的な陸上競技場、野外ステージなどを備えたB地区とに分かれています。かつて陸軍代々木練兵場だったこの場所も、戦後は米軍の宿舎敷地・ワシントンハイツとなり、東京オリンピックの選手村を経て公園となりました。開園当時はまだ若かった木々も、今ではすっかり成長し、隣接する明治神宮の木々と共に緑濃い森を作っています。また平成3年5月には、高さ15m~30mに及ぶ大小3基の噴水や水回廊をもつ水景施設が完成、“水と緑”に恵まれた公園として生まれかわりました。」
代々木公園1
代々木公園2
代々木公園3
代々木公園4
2.国営昭和記念公園(東京都立川市)
なお、以下の写真は2014年~2015年に撮影。
①花木園売店付近
昭和公園2-1
昭和公園2-2
②日本庭園
昭和公園2-3
3.都立武蔵国分寺公園(東京都国分寺市)
都立武蔵国分寺公園は、「旧国鉄鉄道学園跡地及び逓信住宅跡地に造られ」、「一周500メ-トルの円形芝生広場を中心に、旧鉄道学園時代からのサクラ・ケヤキ・イチョウなどの巨木 を生かし、池・噴水を加えた水と緑のゆったりした公園」(国分寺市のホームページより)。公園駐車場は手狭なので、満車の場合は近くの有料駐車場を利用する。
武蔵国分寺公園1