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私の「お気に入り」の映画②

<写真>
1.恵比寿(東京都渋谷区)②
⇓恵比寿ガーデンプレイス
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⇓東京都写真美術館(右)
 2006年開催「VIET NAM そこは、戦場だった」をここで見た
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2.私の「お気に入り」の映画
②アジアと日本の映画
 小学校低学年のころ、夏休みの夜に「校庭で」映画鑑賞があった。東映の時代劇を観ていたと思う。女優嵯峨美智子(女優山田五十鈴の娘)が出演していた映画はいまも忘れられない。家の近くに、「太秦(うずまさ)東映撮影所」(京都市右京区)があり、時代劇の撮影が近隣の寺院の境内でよく行われていた。小学生高学年(たぶん)になると「映画館で」映画鑑賞があり、このときに観た「黒いオルフェ」(ポルトガル版、1959年)も忘れられない。このころ住んでいた家の近くにある下鴨神社(京都市左京区)でも時代劇の撮影をしていた。
 子どものころに観た映画のお気に入りは「宮本武蔵」(5部作、1961年~1965年)。調べてみると、監督は内田吐夢、出演は中村錦之助、入江若葉、木村功、高倉健、浪花千栄子らであった。テレビドラマでも「宮本武蔵」は放映されていたが、いつごろで、誰が出演していたのか覚えていない。父が吉川英治『宮本武蔵』(小説)が好きであった影響であろう。
 たくさんの時代劇を観ていたが、子どものころなので作品名を思い出せない。俳優でいうと片岡千恵蔵、市川右太衛門、中村錦之助、東千代之介、月形龍之介、大友柳太郎、大川橋蔵らで、いずれも東映の時代劇スター。長谷川一夫と市川雷蔵は大映のスター。美空ひばりも、このころたくさん時代劇に出ていた。当時の俳優の芸名は、歌舞伎役者の名前の影響を受けているという(資料①)。もう少し後に三船敏郎や仲代達矢(いずれも東宝)が登場する。三船敏郎主演の「椿三十郎」(1962年)の「殺陣」(たて)には驚いたが、ストーリーとしては仲代達也主演の「切腹」(1962年)のほうがお気に入り。日活では石原裕次郎、小林旭、宍戸錠らがスターであった。
 1960年ころまでが戦後日本映画界の黄金期であった。「日本映画は1960年に547本を製作し、産業として栄光の頂点に立った。……だがこれを頂点として、映画産業は急速な衰退を見せることになった。」「原因は、……TVの急速な普及だった」(資料①)。私もテレビに夢中になり、すっかり日本映画熱も覚めてしまった。代わってアメリカの西部劇などを観るようになっていた。
 東京へ来てから、神田神保町(東京都千代田区)の岩波ホールでインド映画を観る機会があった。このとき初めてアジアの映画を観る。この映画はサタジット・レイ監督の「大地のうた」(1955年)。インド・ベンガル地方の農村に住む家族を描いた、この映画にひどく衝撃を受けた。カンヌ国際映画祭ヒューマンドキュメント賞など世界中の賞を受賞。音楽はシタール奏者ラビ・シャンカール。「大地のうた」(1955年)、「大河のうた」(1956年)、「大樹のうた」(1958年)はサタジット・レイ監督の「大地のうた三部作」。この映画で演奏されている「シタール」という楽器を聞いてから、世界各国の民族音楽に関心を寄せるようになった。

 1988年から2002年にかけてNHK教育テレビで放映されていた「アジア映画劇場」という番組で、インドだけではなく、ベトナム、イラン、中国など、多くのアジアの国々の映画を観る機会があった。案内・解説は佐藤忠男氏。インド映画では「遠い雷鳴」(サタジット・レイ監督、1973年)、中国映画では「初恋の来た道」(チャン・イーモウ監督、1990年)、ベトナム映画では「青いパパイヤの香り」(1993年)が特に印象に残る。このころ、中国の楽器「二胡」を演奏している音楽をよく聞いていたが、結局、中国映画はチャン・イーモウ監督の作品しか観ていない。

 2011年から2013年まで、NHK BSプレミアムで放映されていた「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」(解説山本晋也氏)で、日本の「古典的な」映画をたくさん観ている。「人情紙風船」(1937年)や「安城家の舞踏会」(1947年)、「羅生門」(1950年)、「雨月物語」(1953年)、「にごりえ」(1953年)、「幕末太陽傳」(1957年)などの作品は、この番組でなければ観ることはなかったと思われる。もちろん、これ以外の作品も数多く観た。
 当時の日本映画は、芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎、林光、武満徹などクラシック音楽の作曲家が音楽を担当することが多かった。最近でも多くのすぐれた作曲家が映画やテレビの音楽を担当しているが、私はなかでも佐藤直紀氏の作品が「お気に入り」。
私の「お気に入り」の映画②
 ごく最近、佐藤忠男著『わが映画批評の50年』(2003年)を読んだ。佐藤忠男氏は戦前(1930年)生まれで、私は戦後生まれ。年齢はそうとう異なる。しかし、この本を読んで、なぜ私が、アメリカ映画ではなく、ヨーロッパやアジアの映画をたくさん観るようになったのか、に気づいた。以下、この本より自由に引用。

 佐藤忠男氏は子どものころ、「まずアメリカ映画に夢中になり……多くのことを学んだが、……敗戦国日本の貧しくみじめな現実とはあまりにも違う夢のように豊かな世界を、ただもう、憧れの目でうっとり見上げていたにすぎない……。」「1930年代頃のヨーロッパ映画がまた、この時期<終戦後>に盛んにリバイバルされた。主にフランス映画とドイツやオーストリアの映画である。」これらのヨーロッパの映画は「……ままならぬ人生の辛さ悲しさを描いていた。どうやらアメリカ映画よりもフランスやドイツ、オーストリアの映画のほうが大人の映画なんだと思うようになった。」そして、イタリアの映画は、「なによりも現実離れのした甘いロマンティックなものを求めていた私にとっては、その正反対の現実直視の傾向のもので」あった。「ぜいたくさや優美さとは逆に、貧しいもの、悲惨なものを観る映画である。」(資料③)<>内は引用者。

<資料>
①四方田犬彦(よもた・いぬひこ)『日本映画史110年』2014年
②双葉十三郎『日本映画ぼくの300本』2004年
③佐藤忠男『わが映画批評の50年 佐藤忠男評論選』2003年
④佐藤忠男『決定版! 日本映画200選』2004年
⑤キネマ旬報社(編)『知っておきたい映画監督100』2009年
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