ベトナム サイゴン ホーチミン市

1.南ベトナム サイゴン
1974年8月、ホンコン・シンガポール・マレーシア・タイを経由して南ベトナムのサイゴンへ(南ベトナム、サイゴンとも当時の名称。サイゴンは現在のホーチミン市)。9月初め、伊丹空港(大阪府)・京都市を経て帰京。南ベトナムは当時、いまだ戦闘状態にあった。私の人生で最も影響を受けたのがベトナム戦争。1969年(たぶん)、新宿駅東口にあるルミネで開催されたベトナム展(「ベトナムの心」)で多くの写真を見た。大きな衝撃と感動を受けた。「小国」のベトナムが、あの「超大国」のアメリカに、勝つこともできないが、負けてもいない……。このことがサイゴンを訪れる契機となった。当時、南ベトナムへは「ビザなし」で入国できた。学生運動が盛んな時代ではあったが、私はとくに参加することはなかった。

2.ホーチミン市 ホイアン フエ
2009年5月、私はハノイを経由して、ホーチミン市、ホイアン、フエを旅した(その後ハノイへ戻る)。1974年の訪問時、サイゴンで写真を撮った場所は、今回の旅でも見つけることができた。ただこのとき訪れた寺だけはどうしも探すことができなかった。1974年、この寺で偶然ひとりのベトナム人に出会う。1台のバイクに私を含めて5人も乗り、彼の家族とともに映画館、レストランへ行く。翌日、私を安宿(ホテル)に迎えに来た彼は軍服姿。彼は南ベトナム政府の軍人であった。私は、彼の家族の写真を撮ったあと、彼の属する部隊を案内してもらった。帰国後、私が撮った写真を彼の家に郵送。翌1975年の4月、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争は終結。その後、彼と彼の家族はどうしたであろうか。混乱のなかで、多くの南ベトナム政府関係者や軍人およびその家族が近隣諸国やアメリカ、オーストラリアなどへ逃れた。私はサイゴンで、もうひとりの日本人に出会った。彼はかなり高齢であったが、太平洋戦争後も一度も日本へ帰らず、ベトナムにひとり残り、日本大使館で働いていた。私は帰国後、この日本人が記した、東京の住所地へ手紙を送ったが返事はなかった。2009年、私は、ホーチミン市で多くの、ベトナム戦争関連の博物館を訪れた。このあとメコン・デルタ(ミトーとベンチェー)へ行き、ついで日本町(17世紀初頭)のあったホイアン、古都フエを経由してハノイへ戻った。ホーチミン市で訪れた場所は以下の通り。統一会堂(旧大統領官邸)、戦争証跡(しょうせき)博物館、中央郵便局、サイゴン大教会(聖母マリア教会)、ホーチミン市博物館、ホーチミン作戦博物館、歴史博物館、フンブオン廟、サイゴン動植物園、サイゴン川沿いのメリン広場、チラン公園、ベンタイン市場、ビンタイ市場(チョロン地区、ベトナム最大の中華街)など(記憶の範囲で)。ビンタイ市場を除いて、すべて歩いて巡る。

<写真>At Youth Hostel in Bangkok, August 1974
バンコク ユースホステル前にて
<写真>Saigon, September 1974①
サイゴン市内1
<写真>Saigon, September 1974②
サイゴン市内2
<写真>Mr. Chai's family, Saigon, September 1974
Chai family, Saigon, 1974
<写真>Chi Lang Park, Saigon, September 1974
サイゴン市内3 チラン公園
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yamashiro94

Author:yamashiro94
東京都内、多摩地方、近県でカメラを持って散策しています。旅行・歴史・地理・文学・音楽などから最近気になったことまで、何でもとりあげています。写真なしの場合もあります。上の写真はマレーシアのクアラルンプール駅。2007年撮影。

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