ベトナム ハノイ

1.ベトナムの歴史
ベトナムはおよそ千年の長きにわたり中国の支配を受けた。937年、ベトナムはようやく中国支配から解放され、その後いくつかの王朝が続いた。1887年、フランスはベトナム・ラオス・カンボジアの3国を植民地(フランス領インドシナ)とする。ベトナムの北部は保護国化、南部は直轄地。1940年、日本軍は北部フランス領インドシナ(ベトナム北部)に進駐(このころフランスはドイツの占領下にあった)。1942年、日本軍はシンガポールを占領。ところが1945年の日本降伏後、フランスは旧植民地の復活をはかろうとし、ベトナムと戦闘状態にはいる(第一次インドシナ戦争)。1954年、フランス軍がディエン・ビエン・フーの戦いで敗北。同年のジュネーブ協定により、ベトナムを南北に分離し、2年後の自由選挙で統一するはずであった。ところが南ベトナム政府が南北統一選挙を拒否したため、ベトナムは北緯17度線で南北に分断されたままになった。1960年、「南ベトナム解放民族戦線」が結成され、南ベトナム政府に宣戦布告を行いベトナム戦争が始まった(第二次インドシナ戦争)。1961年、アメリカは「南ベトナムにおける共産主義の浸透を止めるため」との名目で、正規軍人で構成された「軍事顧問団」を派遣。1964年のトンキン湾事件を口実に米軍は翌年、北爆を開始。本格的にベトナム戦争が始まった。ベトナム戦争は、「南ベトナム解放民族戦線+北ベトナム政府軍(支援)」対「南ベトナム政府軍+アメリア軍(支援)」という構図。1973年、パリ和平協定により、米軍が南ベトナムから撤退。北爆は止んだが、南ベトナムではまだ、北ベトナムに支援を受ける南ベトナム解放民族戦線とアメリカに支援を受ける南ベトナム政府軍とのあいだで戦闘は続いていた。翌1974年8月下旬、私はメコン川が大きく蛇行しているのをカンボジア上空で見たあと、南ベトナムのサイゴン・タンソニャット空港に降り立った。半年後の1975年4月30日、私が半年前に見た大統領官邸に解放戦線が突入し、サイゴンが陥落。ベトナム戦争は終結した。翌1976年、南北両ベトナムが統一され、現在のベトナム社会主義共和国が成立。しかし、1980年代にかけて、ベトナムとカンボジアとの紛争や中越国境紛争などもあり、ベトナムの経済は停滞したままであった。1986年、資本主義経済の導入や国際社会への協調などを提唱したドイモイ(刷新)を発表。1992年、日本のODA(政府開発援助)再開。1995年、ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟。こうしたこともあり、ようやく停滞から抜け出し、経済発展の途についた。2010年にはアメリカとの国交も回復した。

2.初めてハノイへ
2009年5月、私は初めてハノイへ。ハノイではホアンキエム湖近くの安宿(ホテル)に滞在し、ハノイ中を散策した。訪れた場所は以下の通り(ガイドブック掲載順)。ホー・チ・ミン廟、ホー・チ・ミン博物館、ホー・チ・ミンの家、ハノイ大教会(セント・ジョセフ教会)、タイ湖(西湖)、鎮武観(ちんぶかん、道教寺院)、文廟(孔子廟)、歴史博物館、革命博物館、軍事博物館、ホアロー収容所(フランスによって造られた監獄)、市劇場(フランス風建築)、旧家保存館、ドンスアン市場、水上人形劇場、ハノイ駅、トンニャット(統一)公園、ホアンキエム湖と玉山祠(ぎょくさんじ、「神社」)、旧市街など(記憶の範囲で)。ノイバイ国際空港(ハノイ郊外)への往復を除いて、ほとんど乗り物に乗らず、歩いてめぐった。印象に残ったのはやはり、ホアンキエム湖周辺の静寂と旧市街の喧騒。上野の不忍池とアメ横周辺のよう(湖と池の、規模の違いはあるが)。人々の生活を垣間見ることができた。米軍機による北爆の跡は見られず、みごとに復興を遂げていた。モノがあふれる日本の都市とは異なり、悠々と流れる時間に人々の生活の「豊かさ」を感じた。

<写真>Hoan Kiem Lake in Hanoi, May 2009
Hoan Kiem Lake in Hanoi
<写真>The Old Quarter in Hanoi, May 2009
Old City in Hanoi
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yamashiro94

Author:yamashiro94
東京都内、多摩地方、近県でカメラを持って散策しています。旅行・歴史・地理・文学・音楽などから最近気になったことまで、何でもとりあげています。写真なしの場合もあります。上の写真はマレーシアのクアラルンプール駅。2007年撮影。

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