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マレーシア イポーと中国人の「移動」

イポーは19世紀のはじめ、キンタ川の流域にある村として誕生。同世紀の中ごろからキンタ渓谷で「本格的な」錫(すず)鉱の採掘がはじまった。20世紀はじめにイギリスの錫鉱業会社が相次いで設立されると、町は急速に発展をとげ、「数万人規模で中国人労働者が相次いで入植」。こうしてイポーは「英国の植民地時代にマレーシア第二の都市となった」(注1)。現在、イポーの住民の約7割(2010年統計)が中国系であるのは、このためである(注2)。

中国系の人たちは、なぜこのように「大量に」海外へ「移動」したのであろうか。

現在、(中国本土を除いて)「全世界に住む中国人はおよそ2500万人で、その85%が東南アジアに住むという」(参考①)。すでに12世紀から16世紀にかけて、中国人たちは小規模な海外移住をしていた。ところが19世紀半ばから20世紀はじめにかけて、汽船の定期就航もあって、大規模な「移動」を開始する。19世紀に黒人奴隷制度が廃止され、1842年の南京条約により清朝の「海禁」(鎖国政策)が終わると(注3)、黒人奴隷に代わる労働力として海を渡ることになった。マレー半島のイギリス領海峡植民地(注4)の錫鉱山、カリブ海のサトウキビ・プランテーション、アメリカの大陸横断鉄道建設など、多くの中国人が安価な出稼ぎ労働力として使役された(注5)。

次に長くなるが、川崎有三著『東南アジアの中国人社会』より以下に引用してみる。
「大量移住によってもたらされた中国人移民はおもに肉体労働にたずさわる人びとであった。マラヤ地域における錫鉱山労働者、タイにおける鉄道建設のための労働者などがその例である。中国本土においてほとんど社会の底辺にあったような貧しい農民、労働者たちが、契約労働者として送り込まれ、激しい労働に従事させられ、阿片に一時の安らぎをうるような過酷な生活をしいられたのであった。移民のなかなには現地に送り込まれる船のなかで死亡したり、あるいは現地の激しい労働にたえきれず、また熱帯の伝染病でその命を落とす者も多かった。彼らは『瀦子』(ちょし)と呼ばれ、家畜同様の扱いを受け、また『苦力』(クーリー)と呼ばれることも多かった。もちろん東南アジア以外にも世界のさまざまな地域に中国人労働者たちは進出した。ちょうど、奴隷貿易が禁止され、適当な労働力の調達先を求めていたイギリスなどのヨーロッパ諸国は、中国人やインド人たちをその代替にして積極的な移住政策をとっていた。彼らは単身の男子であり、本土を離れてしばらく出稼ぎに行くという感覚で渡航していった。こうした移民たちのなかには、数年ののちに本土へと帰国する者も多かったが、なかには長く住みつく者たちもいた。」(参考②)ところが、現地に定住した中国系の人たちは再び、「差別に抗して、または子弟の教育を考えて、第二、第三の安住地へと移る」(参考①)。こうして、人はまた「移動する」。

「1820年代から1920年代の100年、中国から東南アジアへむかった移民の総数は約1000万人、うち現地に定住化した数は300万人くらい。」同時期、「西欧や東欧からアメリカ大陸への白人移住」は、「延べ5000万人」にものぼる(参考①)。中国人だけが「大量に」移動したのではない。日本人も明治以降、多くの人たちが海外へ移住した(注6)。

交通や通信が飛躍的に進歩した今日、人は今まで以上に「移動」する。こうして、次の世紀には、民族や人種を問題とすることのない世紀になる。歴史や文化、言語などは大切にしつつ……。そう、願わないわけにはいかない。

(注1)Wikipedia「イポー」より
(注2)1970年代に錫鉱山が閉鎖されるまで、イポーはマレーシアの主要な錫産出地であった。なお2010年現在、イポーの人口はマレーシア第6位(約70万人)である。「マレーシアの歴史~スズ鉱産業」(Malaysia Life)および「マレーシア都市リスト」より。
(注3)南京条約……1842年にアヘン戦争を終結させるため、清とイギリスが結んだ講和条約。海外渡航が解禁され、海外移住が自由になった。「海禁」の正式な解除は1893年。
(注4)海峡植民地……イギリス本国の直轄地。ペナン、マラッカ、シンガポールなど。
(注5)「海禁/海禁政策」「南洋華僑/華僑」(Webサイト「世界史の窓」より)
(注6)日本人の海外移住(「JICA横浜海外移住資料館」のWebサイトより)
「日本人の海外移住は、1866年に海外渡航禁止令(鎖国令)が解かれてから、すでに100年以上の歴史があります。ハワイ王国における砂糖きびプランテーションへの就労に始まって、アメリカ、カナダといった北米への移住、そしてその後1899年にはペルー、1908年にはブラジルへと日本人が渡ります。そして、1924年にアメリカで日本人の入国が禁止されると、大きな流れが北米から南米へと移っていきます。その結果、第二次世界大戦前には約77万人、大戦後には約26万人が移住しています。」日本政府の移住政策に多くの「不備」があり、「国策による日本人の海外移住は国家から邪魔者扱いされ見捨てられた『棄民』である」とする著書もある(参考③)。

<参考>
①斯波義信『華僑』
②川崎有三『東南アジアの中国人社会』
③アルベルト・松本「日本人の海外移住、100年以上の足跡とは」(Webサイト)、遠藤十亜希著『南米「棄民」政策の実像』
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