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築地 月島

<写真>
写真①築地本願寺
築地本願寺1
築地本願寺2
写真②銅板貼りの民家(築地)
火事で燃えにくいことから銅板が貼られています
築地銅板貼り建築1
写真③カトリック築地教会
東京で最古のカトリック教会
築地カトリック教会
写真④月島もんじゃストリート
この「ストリート」にもんじゃ焼きの店が80店舗以上ある
月島2
月島3
月島4
写真⑤路地の民家と高層マンション 
月島1
<地図>東京都中央区 築地・月島
築地月島地図

東京メトロ地下鉄日比谷線築地駅で下車。まずはじめに築地本願寺へ。「築地本願寺は、浄土真宗本願寺派の直轄寺院……。その発祥は1617(元和3)年、西本願寺(京都)の別院として建立され」た。1657年(明暦3年)の明暦の大火により焼失し、現在の築地へ移転。「1923(大正)12年、関東大震災にともなう火災により焼失したため、……古代インドの仏教様式の外観で1934(昭和9)年に現本堂が落成」した(築地本願寺のパンフレットより)。次に築地6丁目・7丁目(東京都中央区)へ。このあたりには、「関東大震災後、耐火性を重視した銅板貼りやモルタルの建物」が多い(朝日新聞、2017年9月7日夕刊)。「築地は戦災の被害を受けていないので、かつては昭和初期の建物の宝庫であった。」(東京DOWN TOWN STREET 1980’s中央区の銅板貼り建築~その二)銅板貼りの建物を見たあと、聖路加国際病院方面へ歩く。この病院のすぐ近くにカトリック築地教会がある。同教会のパンフレットから次に引用してみる。「1874年、東京で最初の教会として明石町の外国人居留地[注1]に建てられました。キリスト教解禁後の拠点であり、初の東京カテドラル(司教座聖堂)となりました(後にカテドラルは関口に移転されました)[注2]。ゴシック風の壮麗な教会は関東大震災で瓦解し、1927年……ギリシア建築ドリア式の規範によって建てられました。」

晴海通りへ戻り、勝鬨橋(かちどきばし)、勝どき橋駅(都営地下鉄大江戸線)を経て月島(東京都中央区)へ。1980年代後半から始まる都市開発と2つの地下鉄駅の開業により[注3]、今では高層マンションが林立している。月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)には「もんじゃ焼き」の店が数多く軒を並べている。商店街から狭い路地に少し入ると、昔ながらの民家が建っていて、下町の雰囲気を残している。狭い路地に密集する2階建ての民家と林立する高層マンション……。「最新の東京と古い東京が混在する町……が月島である」(SUUMOタウン「朝と川と月島」より)。帰りは、勝どき橋駅から地下鉄に乗り自宅へ。歩数計によると、1万7000歩も歩いていたことになる。

[注1] 1869年(明治2年)に築地居留地が設けられ、1899年(明治32年)の治外法権撤廃とともに廃止された。
[注2] 「司教座聖堂」とは、「カトリック教会の教区の中心となる教会の聖堂のことで、大聖堂(カテドラル)とも呼ばれている」(Wikipedia「司教座聖堂」)。「関口」に移転した「カテドラル」とは、カトリック東京カテドラル関口教会のこと。東京都文京区関口にある。
[注3] 「2つの地下鉄駅の開業」とは、1988年(昭和63年)の東京メトロ有楽町線月島駅と、2000年(平成12年)の都営大江戸線月島駅の開業のこと。ところで、佃島(つくだじま)と月島は「ひとつの島」のように見えるが、もともとは別々の島であった。隅田川河口の石川島と江戸時代のはじめに造成された佃島が、江戸後期にひとつの島(佃島)になった。明治時代のはじめに、さらに南に埋め立てられて造成されたのが月島。「佃島と月島を隔てていた佃川は、佃大橋の取り付け道路建設のために埋め立てられ、島であった佃島[と月島]は陸続きに」なった(Wikipedia「佃島」より)。佃大橋の完成は1964年8月で、東京オリンピック開催(10月)の直前のことであった。なお、「佃島」という住所表示はなく、現在は「佃」に統一されている。

<参考>
東京DOWN TOWN STREET 1980’s中央区の銅板貼り建築~その二
月島西仲通り商店街
SUUMOタウン「朝と川と月島」
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