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三富新田 埼玉県

 埼玉県の三芳町と所沢市の両地域にまたがる三富新田(注)へは、東武東上線鶴瀬駅からバスで約10分。高速道路を利用する場合は、関越自動車道所沢インターより約10分。今回は車で行く。まず最初に三芳町歴史民俗資料館へ。「資料館の展示は、武蔵野の開拓で知られる三芳の歴史『拓(ひら)く』をテーマとし祖先が不毛の大地に立ち向かい、たゆまぬ努力と知恵を絞り、豊かな土地をつくり上げてきた様子を紹介してい」る。(資料①)   
次に旧島田家住宅へ。「江戸時代文化・文政期(1804~1829)に建築されたと考えられる茅葺屋根の民家住宅で、畑作新田として知られている三富の開拓が、さつまいもの導入により豊かになったことを証明してくれる大型の家屋……。」(資料②)
次に多福寺(たふくじ)と多聞院(たもんいん)へ。川越藩主の柳沢吉保(よしやす)は、「元禄7年(1694年)、菩提寺として多福寺を、祈願所として毘沙門社(びしゃもんしゃ)(別当寺 多聞院)の一寺一社を創建した」。(資料③)ここで駐車し、開拓当時の地割を見るため、歩いて散策する。訪れたのが冬なので、ほとんど作物がなく、短冊状の耕地は判然としない。航空写真で見ると、地割の様子がはっきりと分かる(写真⑦)。
武蔵野台地にある三富地域は水の得にくい洪積台地上にあり、新田の開発は困難をきわめた。「……(台地の)上部が厚い関東ローム(火山灰)におおわれ、その下部にも厚い砂礫層があって、地下水が浸透するため、水に恵まれず、周縁部以外は長い間、無住地として開発されずにいた。近世になってはじめて耕地拡張の必要にせまられて台地面上が開発された。開発のためには水、特に飲用水の確保が必要で」、この地域では深井戸が掘られた。(資料④)
<注>
「三富」(さんとめ)のうち、上富は三芳町、中富・下富は所沢市にある。

<写真>
①三芳町歴史民俗資料館
三芳町歴史民俗資料館
②旧島田家住宅
旧島田家住宅1
⇓「三富開拓地割遺跡之碑」(石碑左)
旧島田家住宅2
③多福寺
多福寺1
⇓「三富開拓之地、農民之菩提寺」(石碑)
多福寺2
④多聞院(たもんいん)
多聞院
⑤神明社
神明社
⑥「中富」の耕地
⇓右上に見える建物(一部)は所沢市立中富小学校
仲富の耕地
⑦中富地域の地割(航空写真:Googleより)
三富新田3b
 「開拓地割は、幅六間(約11メートル)の道路を縦横に作り、この道路に面して、農民一戸あたりに約五町歩(約5ヘクタール)の短冊型の耕地を配分し」た。「そして道路に面した表口を屋敷地とし、その後方に畑を、さらにその後方には雑木林(平地林)を配置し、ここから燃料となる薪(たきぎ)、肥料用の落葉や下草を確保」した。(資料⑤)農家のまわりは屋敷林(防風林)で囲まれている。上の写真⑦(右側が北西)からも細長い地割が、①道路-②屋敷地-③畑となっているのが分かる。左上に所沢市立中富小学校が小さく見える。

<地図>
航空写真 中富地域の地割り
<資料>
①三芳町「歴史民俗資料館」(Webサイト)
②三芳町「旧島田家住宅」(Webサイト)
③所沢市「多聞院毘沙門堂」(Webサイト)
④農業農村整備情報総合センター「新田村落の典型、武蔵野」(「大地への刻印」より)
⑤所沢市「三富開拓地割遺跡」(Webサイト)
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