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東京「府」東京市はあるが、東京「都」東京市はない

武蔵国多摩郡はどこに帰属?(2)東京「府」東京市はあるが、東京「都」東京市はない

前回に引き続き、梅田定弘著『なぜ多摩は東京都となったか』(資料①)から引用してみる。
「東京に都制が施行され東京都と呼ばれるようになったのは、昭和18年(1943年)7月1日のこと……。それまで東京都は、東京府のもとに東京市(注①)をはじめとする市町村があるという制度をとっており、都制は『都制案』として議論される時代が長く続いていた。」(注②)「帝都制案」や「武蔵県」などの構想が流れたあと、政府は大正13年(1924年)、「東京都制案要項」を発表。「この案は、都知事は官選で、都制区域は隣接の五郡(注③)まで含めた地域として、三多摩を『多摩県』<下の地図>として独立させるというもので」あった。
⇓「多摩県構想」(資料①より)
多摩県構想地図
東京「都」から三多摩を除外するという「多摩県」構想をきっかけに、「三多摩では急速に都制編入の声が高まってい」く。これは「三多摩だけでは県としての発展は望めないと考えた」ことによる(注④)。明治のはじめ、東京「府」への帰属に反対した三多摩は、こんどは東京「都」への帰属を求めたのである。

「都制」施行には2つの問題があったという。(1)「都長」(知事)問題と(2)「区域」問題の2つ。「都長問題というのは、都知事の選出を官選で行うのか、公選でおこなうのか、という問題……。政府は官選を主張し、東京市は公選を主張……。」「もう一つの区域問題は、都制の区域をどの範囲にするかという問題で、焦点は三多摩を含めるか否かという点で」あった。「東京市は、都制は大都市制度であるから、三多摩はそこに含めるべきではないと、三多摩除外を強く主張……。」「それに対し三多摩は、都制への編入を強く主張し」、その後「猛運動」を展開した(政府も支持)。東京市は「都長公選・三多摩除外論」を、三多摩は「都長官選・三多摩編入論」を支持するという構図が生まれた。ところがその後の「区域問題」は複雑な経緯をたどることになる。
昭和7年(1932年)10月1日、東京都の市域拡張が実施され、「市域に含まれた隣接五郡には新たに20区が設置され」る。(注⑤)「大正10年代から本格的にはじまった都制論議は、都長問題、区域問題をめぐる深刻な対立から、昭和10年代に入っても決着する見込みが立」たなかった。ところが昭和16年(1941年)12月8日、太平洋戦争がはじまると、「首都防衛体制の強化という観点から都制成立が急がれるようになり」、昭和17年(1942年)11月、「三多摩編入、都長官選を内容とする都制案が発表され」る。「都制案は<昭和>18年(1943年)1月、衆議院に提出され」、3月に「議会を通過、7月1日、東京府と東京市がひとつとなり<東京府と東京市が廃止され>……東京都(注⑥)が成立し」た。(以上資料①より)

昭和22年(1947年)3月、東京都告諭第1号により22区が成立(8月、練馬区が独立して23区、注⑦)。同年4月、都長官公選(注⑥)。同年5月、新憲法・地方自治が施行され、都「長官」は都「知事」(公選)と呼ばれるようになった。(資料②)なお、東京都の「しくみ」や「区」の変遷などについては、東京都のWebサイトを参照してほしい。(資料③④)

<年表>
1871年(明治 4年)…廃藩置県。多摩郡は神奈川県へ
1878年(明治11年)…東京府は15区6郡(東多摩郡は東京府へ)
1889年(明治22年)…東京市成立(府内15区を東京市に)、他は町村制施行
1893年(明治26年)…多摩3郡(三多摩)、東京府へ編入
1932年(昭和 7年)…市域拡張(20区)により35区(「大東京市」)
1942年(昭和17年)…都制の施行(東京府・東京市廃止)、三多摩も東京都に帰属
1947年(昭和22年)…区域統合により23区へ

<注>
①東京市…市制町村制の施行により、明治22年(1889年)、東京市が誕生したが、東京市の市長は、東京都知事が兼任し、東京市の権限は大幅に制限されていた。(資料②)
②都制案…「大都市に特別な制度が必要であるとの議論は、すでに明治21年(1888年)の市制町村制公布当時からおこなわれてい」た。「しかし、議論はまとまらず」、ふたたびこの問題が「真剣に議論されるようになったのは大正10年代に入ってからで、そこには深刻化する都市問題への対応という背景があ」った。大都市の「仕事量の増加は各省、府による二重の監督の不自由さを実感させ、府と市が同じような事業に取り組むなどの二重行政の無駄も感じさせてい」た。「財政基盤を強化し、二重監督<省と府>・二重行政<府と市>の弊害を取り除くためには、どうしても府と市を一本化した都制の実施が必要であった……。」(資料①)現在の大阪府の「都構想」も(適否は別として)同じ考えにもとづくものであろう。
③隣接の五郡……南葛飾郡、南足立郡、北豊島郡、豊多摩郡(明治29年、南豊島郡と東多摩郡が合併)、荏原郡のこと。「東京都制案」とは、現在の三多摩を除く、東京府と隣接五郡を東京「都」とする案。地図参照。
④現在では、三多摩の人口は417万人(2015年)であるが、大正時代は八王子などを除いて、「全体として見ればまだまだ農村地域で」あった。「もし『多摩県』をつくるとなると、人口、府県税、収入、面積など、全国で最低レベルの県になってしまう」状況にあった。(資料①)
⑤この市域拡張により、従来の15区のほかに新たに20区が設置され、東京市は全部で35区となる(いわゆる「大東京市」)。現在の23区に整理統合されたのは昭和22年(1947年)のこと。現在、東京都の「郡」は西多摩郡のみで、島嶼部を除けば「村」は檜原村(ひのはらむら)のみとなった(詳しくは資料④を参照して欲しい)。
⑥1943年(昭和18年)、東京府と東京市の廃止・統合によって成立した東京都の首長を東京都「長官」と呼んだ。1947年(昭和22年)の地方自治法の施行により、「長官」は「知事」(都知事)と呼ばれるようになる。(資料②)
⑦昭和22年(1947年)の地方自治法により、「都の区は新たに特別区(特別地方公共団体)となり、この特別区には、原則として市に関する規則が適用され、区長も公選によるものと」なった。(資料③)

<資料>
①梅田定弘著『なぜ多摩は東京都となったか』(けやきブックレット、1993年)。
②竹内誠他著『東京都の歴史』(県史13、1997年)
③東京都「都政のしくみ」(東京都のWebサイト)
④東京都「大東京35区物語~15区から23区へ~東京23区の歴史」(都庁公式HP)
⑤池亨他編著『東京の歴史3(通史編3) 明治時代~現代』(2017年)
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